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久保田藤麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久保田 藤麿(くぼた ふじまろ、1907年(明治40年)2月17日 - 1993年(平成5年)5月8日[1])は、日本政治家参議院議員(1期)。衆議院議員(2期)。

経歴

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1907年(明治40年)生まれ。三重県鈴鹿市出身。

旧制福岡高校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。文部省各課長。内閣総理大臣文部大臣秘書官。文部省施設局長・管理局長・調査局長。自由民主党の文教調査副会長となり万国著作権条約会議・諸外国の教育事情を視察するために欧米各国に出張する。九州大学助教授、日本短波研究所理事長も務めた[1]

1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙三重1区から無所属で出馬するが、落選。1960年(昭和35年)の第29回衆議院議員総選挙で初当選。

1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙では、自由民主党公認で出馬するが、落選。1967年(昭和42年)の第31回衆議院議員総選挙で返り咲く。1968年(昭和43年)の第2次佐藤第2次改造内閣文部政務次官1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙中井徳次郎に549票差で敗れ、落選。

1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙三重県選挙区に出馬し初当選。1973年(昭和48年)に、参議院地方行政委員長。1977年(昭和52年)の第11回参議院議員通常選挙日本社会党の新人坂倉藤吾に2141票差で敗れ、落選。

1980年(昭和55年)から1987年(昭和62年)には大阪音楽大学理事長を務めた[1]。3代目ラジオ教育研究所(後のユーキャン)理事長も歴任。

1984年(昭和59年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章[1]

1993年(平成5年)5月8日死去、86歳。死没日をもって従五位から正四位に叙される[2]

親族

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甥 - 北川正恭(元三重県知事)

脚注

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  1. ^ a b c d 久保田 藤麿https://kotobank.jp/word/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0%20%E8%97%A4%E9%BA%BFコトバンクより2022年12月28日閲覧 
  2. ^ 『官報』第1163号8-9頁 平成5年5月27日号

参考文献

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  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)
  • 『日本政治史に残る三重県選出国会議』(廣新二 1985年)三重県選出の
  • 『三重県史 資料編 近代1 政治・行政 1』
  • 『三重県史 資料編 近代2 政治・行政 2』
議会
先代
久次米健太郎
日本の旗 参議院地方行政委員長
1973年 - 1974年
次代
原文兵衛