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井上哲夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上哲夫
いのうえ てつお
生年月日 1938年7月12日
出生地 三重県四日市市
没年月日 (2019-02-21) 2019年2月21日(80歳没)
死没地 三重県四日市市
出身校 名古屋大学法学部
前職 弁護士
三重弁護士会会長
所属政党民主改革連合→)
無所属
称号 法学士
旭日中綬章

三重県四日市市長
当選回数 3回
在任期間 1996年12月24日 - 2008年12月23日

選挙区 三重県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1989年7月24日 - 1995年7月23日
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井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年昭和13年)7月12日[1] - 2019年平成31年)2月21日[2])は、日本政治家三重県出身で、参議院議員(1期、三重県選挙区)、第15代四日市市長(3期)を務めた。

略歴

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三重県四日市市海蔵地区生まれ。三重県立四日市高等学校名古屋大学法学部卒業。

民間企業で働きながら司法試験に26歳で合格。司法修習20期を経て、弁護士登録。司法修習の同期には高村正彦(元外務大臣)、江田五月参議院議長)、横路孝弘衆議院議長)、神崎武法(元公明党代表)、松尾邦弘(元検事総長)らがいる。四日市市ぜんそく公害訴訟の原告弁護団の一員を務める[3]

その後三重県弁護士会会長も務める。

1989年第15回参議院議員通常選挙連合の会公認で三重県選挙区から立候補し、自民党の水谷力を破り初当選を果たした。参議院議員在職中は情報公開法の制定に尽力。1995年第17回参議院議員通常選挙に再選をめざして立候補するが、保守無所属平田耕一に敗れ、落選した。

翌年の1996年の、四日市市長選挙に立候補し、元助役の片岡一三を破り当選を果たした。三重県では初の国会議員経験を有する市長となった。市長在任中は、出生地である海蔵地区にある近鉄名古屋線川原町駅の高架化工事の働きかけを国土交通省に対して行うなど、非自民系の首長ながら比較的、公共工事には肯定的なスタンスであった。2004年11月の市長選で3選を果たした際、人口20万人以上の都市では全国初の、電子投票が実施された。

2008年6月、四日市市議会で同年11月の市長選に立候補せず、3期12年で引退する意向を表明。同年12月に四日市市長を退任して以降も再度の弁護士登録はせず、弁護士も事実上廃業している[4]

2014年旭日中綬章受章[5]

2019年2月21日20時29分、出血性ショックのため、三重県四日市市の病院で死去[6]。80歳没。

著書

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  • 「ケチケチ市長と呼ばれて-市民と進めた財政健全化」(イマジン出版、2010年) ISBN 978-4-87299-535-0

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、262頁。
  2. ^ “井上哲夫さん死去”. 朝日新聞社. (2019年2月24日). https://www.asahi.com/articles/DA3S13907345.html 2019年2月24日閲覧。 
  3. ^ “大観小観”. 伊勢新聞. (2019年2月27日). オリジナルの2019年6月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190630094455/https://www.isenp.co.jp/2019/02/27/29080/ 
  4. ^ YYウェーブ21 会報第21号(2009年2月)
  5. ^ 「春の叙勲 中綬章以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2004年4月29日朝刊
  6. ^ 井上哲夫氏死去(元参院議員) - 時事ドットコム 2019年2月25日
公職
先代
加藤寛嗣
四日市市旗三重県四日市市長
1996年 - 2008年
次代
田中俊行