川上親俊
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川上 親俊(かわかみ ちかとし、1882年(明治15年)12月15日[1] - 1926年(大正15年)9月6日[2])は、日本の内務官僚。三重県四日市市長。初名は為繁[1]。
経歴
[編集]鹿児島県の士族大重為廉の長男として生まれ、川上親晴の養子となった[1]。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、高等文官試験に合格[1]。東京府属、山梨県事務官、同理事官、秋田県警察部長[1]、滋賀県警察部長、愛媛県内務部長などを歴任した[3]。
1923年(大正12年)より四日市市長を務めた。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録』
- ^ 『朝日年鑑 大正十六年』朝日新聞社、1926年。
- ^ 「内務書記官大野緑一郎外二十四名叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11112926000
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。