川原町駅
川原町駅 | |
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高架化後の駅舎(2016年5月) | |
かわらまち Kawaramachi (萬古焼の郷) | |
◄E19 阿倉川 (1.1 km) (1.2 km) 近鉄四日市 E21► | |
所在地 | 三重県四日市市本郷町1-1 |
駅番号 | E20 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
所属路線 | E 名古屋線 |
キロ程 | 43.1 km(伊勢中川起点) |
電報略号 | カワラ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
847人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)1月30日 |
川原町駅(かわらまちえき)は、三重県四日市市本郷町にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅である。駅番号はE20。「萬古焼の郷」の副名称がある。
歴史
[編集]- 1929年(昭和4年)1月30日:伊勢電気鉄道の四日市 - 桑名間開通時に開業[1]。
- 1936年(昭和11年)9月15日:参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併[1]、参宮急行電鉄名古屋伊勢本線の駅となる[2]。
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道の駅となる[1]。路線名が改定され、名古屋線の所属となる[2]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道の駅となる[1]。
- 2007年(平成19年)4月1日:ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる[3]。
- 2010年(平成22年)9月18日:上り線を仮線に切り替え[4][5]。
- 2011年(平成23年)6月4日:下り線を仮線に切り替え[5]。
- 2014年(平成26年)10月25日:下り線が高架化[6][7]。新駅舎を駅構内通路という形で暫定供用開始[7]。
- 2016年(平成28年)5月8日:上り線が高架化[8]。副駅名「萬古焼の郷」利用開始[8][9]。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線を有する高架駅。ホーム有効長は5両。駅舎(改札口)は線路下にある。トイレは改札内にあり、男女別の水洗式である。
近鉄四日市駅管理の有人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | E 名古屋線 | 下り | 伊勢中川方面[10] |
2 | 上り | 近鉄名古屋方面[10] |
当駅乗降人員
[編集]近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[11]。
調査日 | 一日 乗降人員 |
---|---|
2005年11月8日 | 1,202 |
2008年11月18日 | 1,551 |
2010年11月9日 | 1,430 |
2012年11月13日 | 1,570 |
2015年11月10日 | 1,754 |
2018年11月13日 | 1,800 |
2021年11月9日 | 1,618 |
2022年11月8日 | 1,710 |
2023年11月7日 | 1,716 |
利用状況
[編集]「三重県統計書」によると、一日の平均乗車人員は下の表の通りである[12]。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 692 |
1998年 | 650 |
1999年 | 607 |
2000年 | 546 |
2001年 | 537 |
2002年 | 484 |
2003年 | 497 |
2004年 | 510 |
2005年 | 549 |
2006年 | 582 |
2007年 | 591 |
2008年 | 626 |
2009年 | 634 |
2010年 | 616 |
2011年 | 652 |
2012年 | 680 |
2013年 | 704 |
2014年 | 718 |
2015年 | 755 |
2016年 | 813 |
2017年 | 832 |
2018年 | 847 |
2019年 | 847 |
2020年 | 660 |
川原町駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の一日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(川原町駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 238,230 | ←←←← | 166,543 | 404,773 | |||
1951年(昭和26年) | 285,690 | ←←←← | 156,879 | 442,569 | |||
1952年(昭和27年) | 283,620 | ←←←← | 125,593 | 409,213 | |||
1953年(昭和28年) | 278,520 | ←←←← | 140,345 | 418,865 | |||
1954年(昭和29年) | 341,370 | ←←←← | 180,040 | 521,410 | |||
1955年(昭和30年) | 426,360 | ←←←← | 178,175 | 604,535 | |||
1956年(昭和31年) | 471,750 | ←←←← | 211,855 | 683,605 | |||
1957年(昭和32年) | 482,640 | ←←←← | 152,118 | 634,758 | |||
1958年(昭和33年) | 447,210 | ←←←← | 160,712 | 607,922 | |||
1959年(昭和34年) | 544,650 | ←←←← | 151,437 | 696,087 | |||
1960年(昭和35年) | 508,320 | ←←←← | 175,817 | 684,137 | |||
1961年(昭和36年) | 492,990 | ←←←← | 207,101 | 700,091 | |||
1962年(昭和37年) | 493,520 | ←←←← | 209,501 | 703,021 | |||
1963年(昭和38年) | 492,960 | ←←←← | 157,573 | 650,533 | |||
1964年(昭和39年) | 490,770 | ←←←← | 154,718 | 645,488 | |||
1965年(昭和40年) | 506,430 | ←←←← | 152,693 | 659,123 | |||
1966年(昭和41年) | 516,300 | ←←←← | 144,115 | 660,415 | |||
1967年(昭和42年) | 509,970 | ←←←← | 157,164 | 667,134 | |||
1968年(昭和43年) | 516,510 | ←←←← | 166,234 | 682,834 | |||
1969年(昭和44年) | 431,400 | ←←←← | 177,910 | 609,310 | |||
1970年(昭和45年) | 422,220 | ←←←← | 167,745 | 589,965 | |||
1971年(昭和46年) | 399,270 | ←←←← | 154,018 | 553,288 | |||
1972年(昭和47年) | 387,240 | ←←←← | 146,416 | 533,656 | |||
1973年(昭和48年) | 363,240 | ←←←← | 136,354 | 499,594 | |||
1974年(昭和49年) | 373,440 | ←←←← | 130,244 | 503,684 | |||
1975年(昭和50年) | 367,800 | ←←←← | 128,396 | 496,196 | |||
1976年(昭和51年) | 338,400 | ←←←← | 118,802 | 457,202 | |||
1977年(昭和52年) | 337,710 | ←←←← | 118,261 | 455,971 | |||
1978年(昭和53年) | 316,740 | ←←←← | 120,012 | 436,752 | |||
1979年(昭和54年) | 302,040 | ←←←← | 120,937 | 422,977 | |||
1980年(昭和55年) | 283,560 | ←←←← | 120,524 | 404,084 | |||
1981年(昭和56年) | 284,190 | ←←←← | 117,606 | 401,796 | |||
1982年(昭和57年) | 268,680 | ←←←← | 115,435 | 384,115 | 11月16日 | 2,239 | |
1983年(昭和58年) | 257,520 | ←←←← | 116,404 | 373,924 | 11月8日 | 2,110 | |
1984年(昭和59年) | 244,860 | ←←←← | 108,137 | 352,997 | 11月6日 | 2,178 | |
1985年(昭和60年) | 237,620 | ←←←← | 110,837 | 348,457 | 11月12日 | 2,022 | |
1986年(昭和61年) | 233,190 | ←←←← | 114,104 | 347,294 | 11月11日 | 1,889 | |
1987年(昭和62年) | 224,340 | ←←←← | 110,850 | 335,190 | 11月10日 | 1,914 | |
1988年(昭和63年) | 215,910 | ←←←← | 114,053 | 329,963 | 11月8日 | 1,986 | |
1989年(平成元年) | 199,200 | ←←←← | 115,227 | 314,427 | 11月14日 | 2,049 | |
1990年(平成2年) | 199,680 | ←←←← | 123,290 | 322,970 | 11月6日 | 1,883 | |
1991年(平成3年) | 201,600 | ←←←← | 117,041 | 318,641 | |||
1992年(平成4年) | 187,710 | ←←←← | 115,320 | 303,030 | 11月10日 | 1,738 | |
1993年(平成5年) | 183,450 | ←←←← | 110,671 | 294,121 | |||
1994年(平成6年) | 175,680 | ←←←← | 99,007 | 274,687 | |||
1995年(平成7年) | 179,160 | ←←←← | 99,907 | 279,067 | 12月5日 | 1,701 | |
1996年(平成8年) | 171,000 | ←←←← | 93,458 | 264,458 | |||
1997年(平成9年) | 163,050 | ←←←← | 89,420 | 252,470 | |||
1998年(平成10年) | 151,560 | ←←←← | 85,773 | 237,333 | |||
1999年(平成11年) | 138,900 | ←←←← | 83,079 | 221,979 | |||
2000年(平成12年) | 121,530 | ←←←← | 77,882 | 199,412 | |||
2001年(平成13年) | 118,800 | ←←←← | 77,137 | 195,937 | |||
2002年(平成14年) | 103,740 | ←←←← | 72,875 | 176,615 | |||
2003年(平成15年) | 105,990 | ←←←← | 75,910 | 181,900 | |||
2004年(平成16年) | 113,010 | ←←←← | 72,996 | 186,006 | |||
2005年(平成17年) | 122,550 | ←←←← | 77,715 | 200,265 | 11月8日 | 1,202 | |
2006年(平成18年) | 129,090 | ←←←← | 83,168 | 212,258 | |||
2007年(平成19年) | 128,910 | ←←←← | 87,464 | 216,374 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 1,551 | ||||
2009年(平成21年) | ←←←← | ||||||
2010年(平成22年) | ←←←← | ||||||
2011年(平成23年) | ←←←← | ||||||
2012年(平成24年) | ←←←← | ||||||
2013年(平成25年) | ←←←← | ||||||
2014年(平成26年) | ←←←← |
駅周辺
[編集]主な施設
[編集]- ばんこの里会館[13] - 急須など陶器の販売。
- 萬古神社(万古神社) - 毎年5月の第2土・日曜日は万古祭りが行われる。
- 海蔵川(かいぞうがわ)堤防の桜並木 - 3月終わりから4月初めに桜祭りが行われる。
- 四日市本郷郵便局
- オリンピアスポーツクラブ
- ホテルルートイン四日市
- 三滝温泉 満殿の湯(スーパー銭湯)
バス路線
[編集]川原町駅付近整備計画
[編集]当駅付近において、三滝川と海蔵川の間のおよそ980メートルの区間を高架に切り換える「近鉄名古屋線川原町駅付近連続立体交差事業」、名古屋線三滝川橋梁の架け替えを含む「三滝川河川改修事業」、河川改修に伴う国道の移設を行い、併せて既存踏切の廃止・除去を行う「一般国道477号(西浦バイパス)整備事業」が一体で進められている。
立体交差事業については、かねてより進められてきた末永・本郷地区土地区画整理事業や周辺地区の道路整備事業により、周辺地区の交通量の増加が予想されており、踏切による線路・道路の平面交差と線路による地域の分断を解消し交通の円滑化を図ることを主な目的としている。事業内容としては現在の名古屋線の線路の西側に上下2本分の仮線を、川原町駅の西側に上下2本分の仮設のホームを設置し、営業する線路を仮線に切り換えた上で、空いた本線上に高架部分を建設し、同時に川原町駅ホームの高架への切り換えとホームの拡張、および付近線路の曲線緩和が行われる。
河川改修事業と国道整備事業については、周囲に比べ狭まっている付近の三滝川下流域の川幅を広げると同時に堤防の嵩上げを図ることで、治水による周辺地域の生活安全度の向上を主な目的としたものであり、それに伴い現在は河川堤防上と堤防内にそれぞれ施設されている国道477号道路を、堤防の四日市市街地側に新たに道路を建設した上で撤去し、不要となった踏切の除去と、改修された堤防の高さに合わせるために名古屋線の三滝川橋梁の架け替えを行い、合わせて周辺の道路を整備するものである。
事業主体はいずれも三重県である[14]。これらの事業により名古屋線の当該区間からは4つの踏切が取り除かれ、海山道駅から海蔵川橋梁の先までが踏切のない区間となる。
隣の駅
[編集]かつて存在した路線
[編集]- 近畿日本鉄道
- 名古屋線(旧線)
- 諏訪駅 - 川原町駅
脚注
[編集]- ^ a b c d 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ a b 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.156
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります 併せて、KIPS PiTaPaカードによるお得なポイントサービス「近鉄ポイントプログラム」を導入します』(PDF)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日。オリジナルの2020年12月27日時点におけるアーカイブ 。2020年12月27日閲覧。
- ^ 『川原町駅周辺総合整備事業に伴う近鉄名古屋線上り線の仮線切替について』(PDF)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2010年9月13日。オリジナルの2020年12月27日時点におけるアーカイブ 。2020年12月27日閲覧。
- ^ a b “平成23年6月4日(土) 川原町総合整備事業の工事が進み 近鉄名古屋線の下り線が仮線に切り替わりました!”. 三重県. 2020年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月27日閲覧。
- ^ 『近鉄川原町駅付近連続立体交差事業に伴う下り線(伊勢中川方面行き)の高架化について』(PDF)(プレスリリース)三重県/四日市市/近畿日本鉄道、2014年10月15日。オリジナルの2020年12月27日時点におけるアーカイブ 。2020年12月27日閲覧。
- ^ a b “下り線における高架線切替(近鉄川原町駅)”. 三重県. 2020年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月27日閲覧。
- ^ a b “5月8日、川原町駅(上り線)の高架切り替えが完了しました”. 三重県. 2020年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月27日閲覧。
- ^ 当初は5月7日の高架化予定であったが、悪天候のため5月8日となった。- “川原町駅(上り線)高架化延期のお知らせ”. 三重県. 2016年5月11日閲覧。
- ^ a b “駅の情報|川原町”. 近畿日本鉄道. 2022年1月24日閲覧。
- ^ 駅別乗降人員 名古屋線 - 近畿日本鉄道
- ^ 三重県統計書 - 三重県
- ^ ばんこの里会館
- ^ “近鉄川原町駅周辺総合整備事業”. 三重県. 2016年5月8日閲覧。
関連項目
[編集]「かわらまち」と読む他の駅
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|川原町 - 近畿日本鉄道
- 近鉄川原町駅周辺総合整備事業 - 三重県