伊勢若松駅
伊勢若松駅 | |
---|---|
駅舎(2008年3月) | |
いせ わかまつ Ise-Wakamatsu | |
所在地 | 三重県鈴鹿市若松西四丁目17-8 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
電報略号 | ワマ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗車人員 -統計年度- |
1,135人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1917年(大正6年)12月22日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | E 名古屋線 |
駅番号 | E29 |
キロ程 | 30.5 km(伊勢中川起点) |
◄E28 箕田 (1.3 km) (1.8 km) 千代崎 E30► | |
所属路線 | L 鈴鹿線 |
駅番号 | L29 |
キロ程 | 0.0 km(伊勢若松起点) |
(2.2 km) 柳 L30► |
伊勢若松駅(いせわかまつえき)は、三重県鈴鹿市若松西四丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。名古屋線と当駅を起点とする鈴鹿線が乗り入れ、接続駅となっている[1]。駅番号は名古屋線がE29、鈴鹿線がL29。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1917年(大正6年)12月22日:伊勢鉄道の千代崎 - 楠間延伸時に開業[2]。
- 1925年(大正14年)12月20日:伊勢鉄道神戸支線が伊勢神戸駅(現・鈴鹿市駅)まで開業[2]。
- 1926年(大正15年)9月11日:社名変更により伊勢電気鉄道の駅となる[2]。
- 1936年(昭和11年)9月15日:参宮急行電鉄との会社合併により参宮急行電鉄の駅となる[2]。同時に旧・伊勢電本線は名古屋伊勢本線、神戸支線は神戸線と名称が制定される。
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる[2]。同時に名古屋伊勢本線が名古屋線に改称される[3]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行電鉄が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道の駅となる[2]。
- 1963年(昭和38年)4月8日:神戸線が鈴鹿線に改称される[4]。
- 1967年(昭和42年)12月:跨線橋設置。
- 2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始[5]。
- 2017年(平成29年)3月15日:エレベーター・エレベーター用跨線橋使用開始[1]。使用開始と同時に記念入場券も販売された[1]。
- 2024年(令和6年)9月21日:前日をもって特急券・企画乗車券発売窓口を廃止[6][7][8]。
駅名の由来
[編集]駅名は駅の所在地「若松」に由来し、「若松」は一帯にあった「吾の松原」(若の松原)に由来する[9]。
駅構造
[編集]島式ホーム2面4線を持つ待避可能な地上駅。ホーム有効長は6両編成に対応している。ホーム南寄り西側に駅舎があり、跨線橋で連絡している。列車待ちの客が多い近鉄名古屋方面ホームの上屋は6両分設置されている反面、乗車より降車客の方が多い伊勢中川方面ホームの上屋は4両分しか設置されていない。
近鉄名古屋方の主本線に片渡り線、西側に有効長3両編成分の引き上げ線があり、当駅終着の鈴鹿線列車が引き上げ線で待機することがある。1番線からは近鉄名古屋方面への出発も可能である。
のりば
[編集]駅舎反対側から以下の通り。
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | L 鈴鹿線 | 下り | 平田町方面[10] | 平日朝の急行1本のみ |
E 名古屋線 | 伊勢中川・五十鈴川方面[10] | 待避線 | ||
2 | ||||
3 | 上り | 近鉄名古屋方面[10] | ||
4 | 待避線 | |||
L 鈴鹿線 | 下り | 平田町方面[10] |
- 付記事項
- 名古屋線を基準として、内側2線(2番線・3番線)が主本線、外側2線(1番線・4番線)が待避線となっている。
- 鈴鹿線列車は基本的に4番のりばに発着するが、平日朝の平田町行き急行(近鉄四日市始発)だけは1番のりばから発車する[11]。
特徴
[編集]停車列車
[編集]特急以外の全一般列車が停車する[12]。
日中時間帯は急行が毎時3本、普通列車が毎時2本、鈴鹿線普通列車が毎時2本発着している。
名古屋線における急行の待避可能駅の一つで、塩浜駅と同様に急行による特急待避が頻繁に行われる[12]。
- 伊勢中川方面の急行は日中の大多数と夕方の一部が当駅で特急を待避する[12]。
- 名古屋方面の急行は日中の毎時1本の列車が当駅で名阪甲特急を待避する。乙特急に関しては2つ隣の急行停車駅である江戸橋駅で特急待避を完了するか、次の停車駅である塩浜駅で待避を行うため、当駅での乙特急待避はほとんどない[12]。
普通列車に関しては朝の一部に急行との緩急接続を行う列車が存在する以外に当駅での待避はほとんど行われない[12]。
- 津新町方面の普通列車は日中は急行の到着直前に発車し、急行の次の停車駅である白子駅にて特急・急行に連続して追い抜かれる[12]。四日市方面の列車はこの逆で、特急通過・急行発着に続行して普通列車が到着する[12]。
駅設備・営業面
[編集]白子駅管理の有人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。かつては窓口にて特急券および定期券、企画乗車券の購入が可能であったが[13]、発売時間帯の限定化及び定期券の自動券売機発売移行を経て、2024年9月20日をもって窓口発売を終了した[6][7][8]。この時点では特急券等自動発売機MT型が設置されていないため、当駅で特急券や企画券を購入することができなくなった[14]。
かつては千代崎駅-長太ノ浦駅を管轄とする駅長が当駅に配置されていた。
その他
[編集]2004年(平成16年)に近鉄全線で駅名を正式な表記に改める以前から、当駅では旧国名を省略せず案内していた。
当駅乗降人員
[編集]近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[15]。
- 2023年11月7日:1,804人
- 2022年11月8日:1,734人
- 2021年11月9日:1,688人
- 2018年11月13日:1,924人
- 2015年11月10日:1,999人
- 2012年11月13日:1,697人
- 2010年11月9日:1,839人
- 2008年11月18日:1,911人
- 2005年11月8日:1,890人
利用状況
[編集]「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[16]。名古屋線 - 鈴鹿線間の相互利用客は多いものの[1]、この数字には各線の乗り換え客は含まれていない。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 1,155 |
1998年 | 1,082 |
1999年 | 1,082 |
2000年 | 1,076 |
2001年 | 1,071 |
2002年 | 1,072 |
2003年 | 1,063 |
2004年 | 1,035 |
2005年 | 1,059 |
2006年 | 1,073 |
2007年 | 1,065 |
2008年 | 1,061 |
2009年 | 1,025 |
2010年 | 1,027 |
2011年 | 990 |
2012年 | 992 |
2013年 | 1,025 |
2014年 | 1,052 |
2015年 | 1,090 |
2016年 | 1,117 |
2017年 | 1,137 |
2018年 | 1,143 |
2019年 | 1,135 |
2020年 | 842 |
伊勢若松駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(伊勢若松駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 286,080 | ←←←← | 177,109 | 463,189 | |||
1951年(昭和26年) | 328,050 | ←←←← | 166,634 | 494,684 | |||
1952年(昭和27年) | 297,210 | ←←←← | 163,804 | 461,014 | |||
1953年(昭和28年) | 278,340 | ←←←← | 160,822 | 439,162 | |||
1954年(昭和29年) | 301,800 | ←←←← | 163,902 | 465,702 | |||
1955年(昭和30年) | 298,440 | ←←←← | 161,813 | 460,253 | |||
1956年(昭和31年) | 287,490 | ←←←← | 106,388 | 393,878 | |||
1957年(昭和32年) | 321,630 | ←←←← | 159,088 | 480,718 | |||
1958年(昭和33年) | 316,230 | ←←←← | 168,668 | 484,898 | |||
1959年(昭和34年) | 342,300 | ←←←← | 157,817 | 500,117 | |||
1960年(昭和35年) | 367,440 | ←←←← | 136,362 | 503,802 | |||
1961年(昭和36年) | 383,460 | ←←←← | 136,835 | 520,295 | |||
1962年(昭和37年) | 404,490 | ←←←← | 143,098 | 547,588 | |||
1963年(昭和38年) | 419,460 | ←←←← | 151,558 | 571,018 | |||
1964年(昭和39年) | 475,590 | ←←←← | 160,388 | 635,978 | |||
1965年(昭和40年) | 376,170 | ←←←← | 164,021 | 540,191 | |||
1966年(昭和41年) | 445,710 | ←←←← | 209,021 | 654,731 | |||
1967年(昭和42年) | 444,090 | ←←←← | 164,178 | 608,268 | |||
1968年(昭和43年) | 459,630 | ←←←← | 218,520 | 678,150 | |||
1969年(昭和44年) | 453,570 | ←←←← | 219,929 | 673,499 | |||
1970年(昭和45年) | 443,820 | ←←←← | 221,144 | 664,964 | |||
1971年(昭和46年) | 434,310 | ←←←← | 242,781 | 677,091 | |||
1972年(昭和47年) | 443,160 | ←←←← | 252,862 | 696,022 | |||
1973年(昭和48年) | 443,400 | ←←←← | 246,537 | 689,937 | |||
1974年(昭和49年) | 505,500 | ←←←← | 257,849 | 763,349 | |||
1975年(昭和50年) | 507,540 | ←←←← | 248,969 | 756,509 | |||
1976年(昭和51年) | 465,420 | ←←←← | 258,041 | 723,461 | |||
1977年(昭和52年) | 460,560 | ←←←← | 277,744 | 738,304 | |||
1978年(昭和53年) | 435,270 | ←←←← | 278,923 | 714,193 | |||
1979年(昭和54年) | 419,250 | ←←←← | 270,865 | 690,115 | |||
1980年(昭和55年) | 422,520 | ←←←← | 259,829 | 682,349 | |||
1981年(昭和56年) | 406,260 | ←←←← | 253,522 | 659,782 | |||
1982年(昭和57年) | 380,850 | ←←←← | 249,816 | 630,666 | 11月16日 | 2,553 | |
1983年(昭和58年) | 384,900 | ←←←← | 247,153 | 632,053 | 11月8日 | 2,466 | |
1984年(昭和59年) | 374,310 | ←←←← | 232,917 | 607,227 | 11月6日 | 2,526 | |
1985年(昭和60年) | 367,950 | ←←←← | 226,185 | 594,135 | 11月12日 | 2,486 | |
1986年(昭和61年) | 359,070 | ←←←← | 214,249 | 573,319 | 11月11日 | 2,337 | |
1987年(昭和62年) | 357,120 | ←←←← | 205,182 | 562,302 | 11月10日 | 2,259 | |
1988年(昭和63年) | 352,830 | ←←←← | 200,131 | 552,961 | 11月8日 | 2,358 | |
1989年(平成元年) | 342,960 | ←←←← | 196,751 | 539,711 | 11月14日 | 2,440 | |
1990年(平成2年) | 353,250 | ←←←← | 194,382 | 547,632 | 11月6日 | 2,515 | |
1991年(平成3年) | 355,110 | ←←←← | 197,841 | 552,951 | |||
1992年(平成4年) | 333,240 | ←←←← | 200,078 | 533,318 | 11月10日 | 2,291 | |
1993年(平成5年) | 324,000 | ←←←← | 195,015 | 519,015 | |||
1994年(平成6年) | 311,670 | ←←←← | 180,533 | 492,203 | |||
1995年(平成7年) | 306,120 | ←←←← | 173,662 | 479,782 | 12月5日 | 2,088 | |
1996年(平成8年) | 292,020 | ←←←← | 160,860 | 452,880 | |||
1997年(平成9年) | 276,240 | ←←←← | 145,280 | 421,520 | |||
1998年(平成10年) | 266,670 | ←←←← | 128,304 | 394,974 | |||
1999年(平成11年) | 261,570 | ←←←← | 134,517 | 396,087 | |||
2000年(平成12年) | 255,810 | ←←←← | 136,825 | 392,635 | |||
2001年(平成13年) | 258,390 | ←←←← | 132,518 | 390,908 | |||
2002年(平成14年) | 261,240 | ←←←← | 129,976 | 391,216 | |||
2003年(平成15年) | 258,810 | ←←←← | 130,369 | 389,179 | |||
2004年(平成16年) | 251,610 | ←←←← | 126,342 | 377,952 | |||
2005年(平成17年) | 254,910 | ←←←← | 131,717 | 386,627 | 11月8日 | 1,890 | |
2006年(平成18年) | 263,070 | ←←←← | 128,563 | 391,633 | |||
2007年(平成19年) | 261,000 | ←←←← | 128,906 | 389,906 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 1,911 | ||||
2009年(平成21年) | ←←←← | ||||||
2010年(平成22年) | ←←←← | ||||||
2011年(平成23年) | ←←←← | ||||||
2012年(平成24年) | ←←←← |
駅周辺
[編集]駅付近は民家が多く、寺院が点在する。駅から離れると田園が大きく広がる。三重県道6号線は駅から東へ少し離れた所を通っており、その東側には海岸や漁港がある。なお、当駅 - 白子間は大黒屋光太夫のふるさとに指定されており、近畿日本鉄道(近鉄)は周辺散策マップをインターネットで公開している[17]。
- 大黒屋光太夫之像 - 駅前にある銅像。記念館は駅から南へ離れた所にある。
- 鈴鹿市立若松小学校
- 伊勢の海県立自然公園
- 若松漁港
- 若松山西運寺
- 緑芳寺
- 鈴鹿若松郵便局
- 三重県道6号四日市楠鈴鹿線
- 三重県道552号伊勢若松停車場線
- 三重県道553号伊勢若松停車場神戸地子線
隣の駅
[編集]- 近畿日本鉄道
- E 名古屋線
- L 鈴鹿線(線内は全列車各駅停車)
- ■急行(名古屋線からの直通運転)
- (塩浜駅 (E24) → ) 伊勢若松駅 (L29) → 柳駅 (L30)
- ■普通
- 伊勢若松駅 (L29) - 柳駅 (L30)
- ■急行(名古屋線からの直通運転)
脚注
[編集]- ^ a b c d 山本克也 (2017年3月16日). “伊勢若松駅にエレベーター 3基設置”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 津市民版 20
- ^ a b c d e f 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.156
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、294頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年3月17日閲覧。
- ^ a b “特急券発売駅一覧(2024年9月21日現在)”. 近畿日本鉄道 (2024年9月21日). 2024年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月20日閲覧。
- ^ a b “企画乗車券発売駅一覧(2024年9月21日現在)”. 近畿日本鉄道 (2024年9月21日). 2024年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月20日閲覧。
- ^ a b “伊勢・鳥羽・志摩スーパーパスポート“まわりゃんせ””. 近畿日本鉄道 (2024年9月21日). 2024年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月20日閲覧。
- ^ 鈴鹿市観光協会
- ^ a b c d “駅の情報|伊勢若松”. 近畿日本鉄道. 2021年5月19日閲覧。
- ^ “伊勢若松駅 発車時刻表(2021年7月3日変更)”. 近畿日本鉄道. 2022年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 近鉄時刻表2020年3月14日ダイヤ変更号、p.160 - p.170・p.172 - p.182・p.312 - p.322・p.324 - p.334
- ^ 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.81 - p.87
- ^ “近鉄週末フリーパス”. 近畿日本鉄道 (2024年9月21日). 2024年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月20日閲覧。
- ^ 駅別乗降人員 名古屋線 - 近畿日本鉄道
- ^ 三重県統計書 - 三重県
- ^ “大黒屋光太夫像” (PDF). 三重-15 てくてくまっぷ「大黒屋光太ふる郷散策コース」. 近畿日本鉄道. 2022年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|伊勢若松 - 近畿日本鉄道