曽根悟
曽根 悟(そね さとる、1939年〈昭和14年〉4月23日[1] - )は日本の工学者・鉄道技術者。東京大学名誉教授。
専門は電気工学・交通システム工学・パワーエレクトロニクス。鉄道に関する著作・発言を広範に行っている。工学院大学教授、西日本旅客鉄道(JR西日本)社外取締役を歴任した。
経歴
[編集]- 1939年(昭和14年)- 東京府(現・東京都)に生まれる[1]。
- 1958年(昭和33年)- 東京教育大学附属駒場高等学校卒業。
- 1962年(昭和37年)- 東京大学工学部電気工学科卒業[1]。
- 1967年(昭和42年)-工学博士号取得[1]、東京大学助教授。
- 1984年(昭和59年)-東京大学工学系研究科電気工学専攻教授。
- 2000年(平成12年)-東京大学定年退職[1]、工学院大学教授[1]。
- 2005年(平成17年)-西日本旅客鉄道(JR西日本)の社外取締役に就任[1][2]
- 2007年(平成19年)-工学院大学教授を定年退職[1]、同大学エクステンションセンター長就任[3]
- 2013年(平成25年)-JR西日本社外取締役を退任[4]。
- 2018年(平成30年)-秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章[1][5]。
人物
[編集]1957年5月30日に日本国有鉄道(国鉄)鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)がその創立50周年記念講演会の席で、東京 - 大阪間3時間の超特急列車構想に関する講演を行い、これがきっかけとなって新幹線のプロジェクトがスタートした。この講演を当時高校3年生であった曽根が聴いて、信号保安に関する話が分からなかったため、電気工学を専攻するきっかけとなった、と東京大学最終講義で語っている(外部リンク参照)。その後、卒論・修士の研究で新幹線に関わっている。
電車はロングシートではなくクロスシートにすべきであると主張し、その影響で東海旅客鉄道(JR東海)社長(当時)の須田寬が「今後はクロスシートで造る」と発言した、とされる。ただし実際には須田の社長退任後はJR東海の電車でもロングシート車両(313系2500番台など)が製造されている。
リニアモータ地下鉄や、日本鉄道技術協会が開発した軽快電車などの設計に携わっている。その時の経験から、摩擦に頼った機械的なブレーキをバックアップのみに用いて、通常はすべて電気的な手段でブレーキを行う純電気ブレーキの研究を始めている。
鉄道ダイヤに関する研究にも取り組んでいる。都市圏鉄道における停車駅パターンの最適化や、電力システムを考慮した上でエネルギー消費を最小にするダイヤの検討などを行っている。
2021年現在、『鉄道ピクトリアル』誌(電気車研究会)編集委員。
著書
[編集]- 『新しい鉄道システム -交通問題解決への新技術-』オーム社 1987年 ISBN 978-4274021343
- 『電気回路の基礎』昭晃堂 1986年 ISBN 978-4785611545
- 『サイリスタ回路の見方・考え方』オーム社 1975年
- 『モータの事典』 朝倉書店 2007年 ISBN 978-4254221497
- 『新幹線50年の技術史』講談社〈ブルーバックス〉 2014年 ISBN 978-4-06-257863-9
- 「中央本線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第5号、朝日新聞出版、2009年8月9日。(監修)
他、寄稿・投稿多数
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i “おめでたい略歴|曽根 悟”. todaidenki.jp. 東京大学電気系同窓会. 2023年3月6日閲覧。
- ^ “JR西社外取締役に曽根氏 東大名誉教授”. 47ニュース. 2010年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年2月11日閲覧。
- ^ “エクステンションセンター新発足のお知らせ”. 工学院大学 (2007年6月6日). 2009年9月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年2月11日閲覧。
- ^ “役員等の異動” (PDF). 西日本旅客鉄道. 2013年5月16日閲覧。
- ^ “平成30年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 12 (2018年11月). 2023年2月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 教授紹介 — 工学院大学 交通・電力・環境システム研究室ウェブサイト内の指導教員紹介ページ
- 曽根名誉教授 最終講義 音声公開ページ — 東京大学 工学系研究科 古関研究室(元曽根研究室)のサイトで、曽根教授最終講義「交通システム工学の歩み -新幹線との40年-」の音声データを公開している