松尾邦弘
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松尾邦弘 | |
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2015年9月撮影[1] | |
検事総長 | |
任期 2004年6月25日 – 2006年6月30日 | |
任命者 | 第2次小泉内閣 |
前任者 | 原田明夫 |
後任者 | 但木敬一 |
個人情報 | |
生誕 | 1942年9月13日(82歳) 東京府 |
出身校 | 東京大学法学部 |
専業 | 弁護士 |
松尾 邦弘(まつお くにひろ、1942年9月13日 - )は、日本の検事総長(在任 : 2004年6月25日 - 2006年6月30日)。弁護士。東京都出身。
人物
[編集]中学生のときに、教師だった父は、1950年(昭和25年)、全国学校図書館協議会を結成したが、その後贈賄容疑で逮捕され自宅の捜索を受けた。二人の娘の父親であり、翻訳版ミステリー小説を中心とした読書、釣り、ゴルフが趣味。
経歴
[編集]- 東京都立戸山高等学校、東京大学法学部卒業
- 1965年(昭和40年)22歳で司法試験合格
- 1966年(昭和41年)司法修習20期(同期に日弁連副会長林伸豪や明大総長納谷廣美)。
- 1968年(昭和43年)検事任官(東京地方検察庁検事)連続企業爆破事件、連合赤軍事件など著名な公安事件を担当。特捜部で、ロッキード事件を担当。贈賄側の丸紅元専務だった伊藤宏から「田中角栄逮捕」に直結する供述を引き出した。
- 1978年(昭和53年)法務省刑事局付
- 1980年(昭和55年) 在ドイツ日本国大使館一等書記官
- 1983年(昭和58年) 在ドイツ日本国大使館参事官
- 1983年(昭和58年) 法務省刑事局参事官
- 1984年(昭和59年) 東京地方検察庁検事
- 1985年(昭和60年) 法務省刑事局参事官
- 1988年(昭和63年) 法務大臣官房参事官(予算担当)
- 1989年(平成元年) 法務省刑事局刑事課長
- 1991年(平成3年) 法務省刑事局総務課長
- 1992年(平成4年) 法務大臣官房人事課長
- 1996年(平成8年) 松山地方検察庁検事正
- 1996年(平成8年) 東京地方検察庁次席検事
- 1998年(平成10年) 最高検察庁検事
- 1998年(平成10年) 法務省刑事局長 - 国会で審議中の通信傍受法案をめぐり、TBSの筑紫哲也 NEWS23の訂正要求へ反論した。
- 1999年(平成11年) 法務事務次官
- 2002年(平成14年) 次長検事
- 2003年(平成15年) 東京高等検察庁検事長
- 2004年(平成16年)6月25日 原田明夫の後任として検事総長に就任。「ひるむことのない検察」を標榜する。
- 2006年(平成18年)6月30日 検事総長退任(後任は但木敬一)
- 2006年(平成18年)9月 弁護士登録
- 2006年(平成18年)11月 松尾邦弘法律事務所開設
- 2007年(平成19年)3月 旭硝子株式会社取締役
- 2007年(平成19年)6月 トヨタ自動車株式会社社外監査役就任
- 2007年(平成19年) 駿河台大学法科大学院専任教授(2007年4月~)
- 2008年(平成20年) 三井物産、損害保険ジャパン監査役
- 2009年(平成21年) バンダイナムコゲームスのニンテンドーDS用ゲームソフト『有罪×無罪』を監修。裁判員制度をゲーム化したもの。小松製作所監査役。
- 2011年(平成23年) ブラザー工業株式会社監査役
- 2013年(平成25年) 株式会社日本取引所グループ取締役・監査委員会委員長、株式会社テレビ東京ホールディングス監査役、株式会社セブン銀行監査役[2]
そのほかエイベックス・グループ・ホールディングス法律顧問を務めている
テレビ出演
[編集]- 日経スペシャル カンブリア宮殿 「巨悪で語る、ニッポン -地検特捜部の標的とその時代」(2006年7月10日、テレビ東京)[3]。
脚注
[編集]- ^ a b 総務省行政評価局行政相談課編集『行政苦情救済推進会議のあゆみと成果――第100回開催記念』総務省行政評価局行政相談課、2015年、5頁。
- ^ 大証からのニュースリリース『株式会社日本取引所グループの発足に向けて』(PDF)(プレスリリース)日本取引所グループ、2012年10月29日 。2014年4月29日閲覧。
- ^ 「巨悪で語る、ニッポン -地検特捜部の標的とその時代」 - テレビ東京 2006年7月10日
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