松田正一
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松田 正一 まつだ まさかず | |
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松田正一(1947年) | |
出生地 | 三重県 |
没年月日 | 1972年7月20日(87歳没) |
所属政党 |
(日本進歩党→) (日本民主党→) (無所属/民主クラブ→) (民主自由党→) 無所属 |
松田 正一(まつだ まさかず、1884年(明治17年)12月23日[1] - 1972年(昭和47年)7月20日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。
経歴
[編集]三重県出身。関西法律学校を経て[3][4]、1906年京都法政大学(現在の立命館大学)法律科卒[5]。卒業後は古河鉱業から大阪市役所に勤務する[5]。
その後、津市議、同副議長、三重県議などを経て[5]、1930年の第17回衆議院議員総選挙では三重1区(当時)から立憲民政党非公認で立候補して最下位で初当選[6]し、同選挙区で民政党4人目の当選者となった[7]。以来連続7回当選[5]。米内内閣大蔵参与官、第1次吉田内閣運輸政務次官などを歴任した[5]。1949年の第24回衆議院議員総選挙では民主自由党公認で立候補したが落選[8]。1950年の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補したが落選し[9]、政界を引退した。
この他、共融無尽株式会社取締役会長、第三相互銀行(現在の三十三銀行の前身)取締役会長も務めた[5]。
逸話
[編集]- カイゼル髭で知られ「ヒゲの松田」と呼ばれた[10]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[11]
脚注
[編集]- ^ 『第58回帝国議会衆議院議員名簿』衆議院〈衆議院公報附録〉、1930年、14頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』600頁。
- ^ 『大衆政治読本』中央公論社、1932年、431頁。
- ^ 『衆議院議員名鑑』国民新聞社、1936年、31頁。
- ^ a b c d e f 衆議院; 参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年、467頁。
- ^ 衆議院事務局 編『第17回衆議院議員総選挙一覧』衆議院事務局、1930年、183頁。
- ^ 『三重政界の闘将たち』51頁。
- ^ 『第24回衆議院議員総選挙一覧』衆議院事務局、1949年、460-461頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』541頁。
- ^ 『三重政界の闘将たち』50頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 川崎秀二『三重政界の闘将たち』内外政局研究会、1974年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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