コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊藤郷一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 郷一
いとう ごういち
生年月日 1900年9月23日
出生地 日本の旗 日本 北海道白糠郡白糠村(現白糠町
没年月日 (1987-09-08) 1987年9月8日(86歳没)
出身校 京都帝国大学文学部哲学科卒業
所属政党日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
自由民主党
称号 正四位
勲二等旭日重光章

選挙区 (旧北海道2区→)
北海道第5区
当選回数 7回
在任期間 1946年 - 1955年
1960年 - 1963年
テンプレートを表示

伊藤 郷一(いとう ごういち、1900年明治33年)9月23日 - 1987年昭和62年)9月8日[1])は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(7期)。

経歴

[編集]

北海道白糠郡白糠村(現白糠町)で生まれる[1]1927年京都帝国大学文学部哲学科を卒業[1][2]。横浜市総持寺高等女学校教師、釧路市文化協会理事長、中華民国新民会河南省総会次長などを務めた[2]

1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に北海道第二区から日本自由党所属で出馬し当選[2]。その後、北海道第5区第27回総選挙まで連続6回当選し、その後第29回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算7期務めた[2]。この間、衆議院図書館運営委員長、同文部委員長、第2次吉田内閣農林政務次官、北海道開発審議会委員、裁判官訴追委員長、自由党両院議員総会副会長、同党政調会文教部長、同党総務、自由民主党文教制度調査会副会長などを歴任した[1][2]宏池会に所属した[1]

1970年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲六等からの昇叙)[3][4]

1987年9月8日死去、86歳。死没日をもって従七位から正四位に叙される[5]

著書

[編集]
  • 『髯とヒューマニティー』北海タイムス社 1983年
  • 『嵐ヶ丘の青春 : 八十年の人生』一枚の絵 1985年
訳書

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』p.59
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』p.45
  3. ^ 伊藤 郷一」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E8%97%A4%20%E9%83%B7%E4%B8%80コトバンクより2023年9月20日閲覧 
  4. ^ 『官報』第13163号8頁 昭和45年11月4日号
  5. ^ 『官報』第18191号10-11頁 昭和62年10月7日号

参考文献

[編集]
議会
先代
竹尾弌
日本の旗 衆議院文部委員長
1952年 - 1953年
次代
辻寛一
先代
木村小左衛門
日本の旗 衆議院図書館運営委員長
1948年
次代
水谷昇