竹尾弌
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竹尾 弌(たけお はじめ、1896年(明治29年)12月11日[1] - 1958年(昭和33年)2月8日[2])は、日本の著作家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]千葉県[1][2]下埴生郡八生村大竹[3](印旛郡八生村を経て現成田市[3])で生まれる。1918年、東京外国語学校露語科を卒業[1][2]。朝鮮銀行浦塩支店に勤務。その後、報知新聞記者、東京毎夕新聞記者、国士舘高等拓殖学校講師、朝鮮林業協会附属北方産業研究所主事などを務め[2]、著述家としても活動した[1]。
1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で千葉県第二区から出馬して当選[2]。以後、27回総選挙まで連続5回当選した[2]。この間、衆議院文部委員長、第3次鳩山一郎内閣の文部政務次官、自由党政調会文教部長、同文化部長、同憲法調査会副会長などを歴任した[2]。
著作
[編集]- 『極東利権研究』未来社、1925年。
- 『何故の日独防共協定か? - 緊迫状態のソ独関係と皇国日本の立場』光東閣パンフレツト第4輯、光東閣、1936年。
- 『歴史的に見たソ聯の民族政策』皐月会、1940年。
- 『戦ふソ聯の現実』霞ケ関書房、1941年。
- 『歴史的に見たソ聯の経済』ソ聯研究懇話会、1941年。
- 『欧洲大戦はどうなるか』世界戦時態勢パンフレツト第2輯、日蘇通信社、1941年。
- 『日ソ中立条約と世界変局』世界戦時態勢パンフレツト第3輯、日蘇通信社、1941年。
- 『ソヴィエト統制経済論』上下巻、今日の問題社、1942-1943年。
- 『アジヤ周辺民族史』東洋民族史叢書5、今日の問題社、1943年。
- 『独ソ戦とソ聯』武蔵野書房、1943年。
編著
- 『露領沿海州と農業の将来殊に米作問題に就て』朝鮮銀行東京調査部、1923年。
訳書
- レーニン『組織問題に就いて』共生閣、1927年。
- レーニン『貧農に与ふ - 農民と労働者は如何にして結合す可きか』レーニン農業問題叢書:第1輯、マルクス書房、1928年。
- レーニン『農業綱領批判』上巻、レーニン農業問題叢書:第2輯、マルクス書房、1928年。
- プレハノフ『社会主義と政治闘争』マルスク主義選集5、共生閣、1928年。
- プレハノフ『我等の対立』改造文庫:第1部第74篇、改造社、1932年。
- パパーニン『北極探検記』聖紀書房、1942年。
- ヴェー・ペー・ポチョムキン監修『世界外交史』第一巻、第二巻、青年書房、1942年。
- 桂川甫周『北槎聞略 - 光太夫ロシヤ見聞記』武蔵野書房、1943年。
訳編
- レーニン著、ブハーリン編『レーニン学教科書』上下巻、共生閣、1928年。
- ヴェー・アー・オブルチェフ『シベリア資源研究』桜木書房、1943年。
監修
- 『プラーウダ イズウエスチア社説集』1輯 - 6輯、日露通報社、1933-1934年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 石井暉二『光芒の人 千葉県人物事典2(政治編-国会議員)』ぎょうせい、1990年。
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