石川多聞
石川 多聞 いしかわ たもん | |
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生年月日 | 1943年5月11日 |
出生地 |
日本 茨城県東茨城郡常北町 (現茨城県東茨城郡城里町) |
没年月日 | 2023年10月23日(80歳没) |
死没地 | 日本 茨城県水戸市 |
出身校 | 日本大学法学部卒業 |
前職 | 国会議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 旭日中綬章 |
親族 | 父・石川稲實(常北町長) |
第96代茨城県議会議長 | |
在任期間 | 2005年3月17日 - 2006年3月23日 |
当選回数 | 7回 |
常北町議会議員 | |
当選回数 | 3回 |
石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日[1] - 2023年10月23日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員。茨城県東茨城郡城里町(旧常北町)出身。
父は、茨城県議・常北町長を務めた石川稲實。
経歴
[編集]地元の中学卒業後、東京に単身上京。日本大学豊山高等学校から日本大学法学部に進学し卒業。
大学卒業後は、日本会・日本総調和連盟の総裁である内閣総理大臣佐藤榮作の秘書、また機関紙『総調和』(発行責任者は山岡荘八)の編集長も務めた。
その後、郷土に戻り常北町議会議員(3期)を経て、自民党選出の茨城県議会議員を7期[1] 務める。この間、各常任委員会委員長・茨城県議会議長[2]、自民党茨城県連政調会長・総務会長・会派「いばらき自民党」議員会長を歴任[3]。
2014年8月12日に茨城県議会議員を辞職[4]。阿久津藤男・城里町長(当時)の辞職に伴う同年9月21日の町長選へ立候補[5] したが、対抗馬の上遠野修に大差で敗れた[6]。 2015年秋の叙勲で旭日中綬章受章。
2023年10月23日、胃がんにより水戸市内の病院で死去[3]。80歳没。
政治以外の活動
[編集]社団法人茨城県林業協会会長、いばらき水と緑と土のネットワーク代表、茨城県議会林業・林産業活性化議員連盟事務局長、茨城の森林を守る県民会議事務局長、(財)日本釣り振興会茨城県支部長、茨城インディアカ協会会長、茨城県信用組合農林水産部顧問、(社)農山漁村資源開発協会理事。
また、茨城大学で非常勤講師、日本文教研究会事務局次長、(社)宗教センター事務局次長、日本青年文化会議代表、(社)茨城県建築士事務所協会顧問、茨城ディスプレイ協同組合顧問等を務めていた経験もある。
国際活動
[編集]アジアを中心とした海外との関係も深く、NPO法人モンゴル緑化日本協会会長、(社)日華協会理事、(社)日本・タジキスタン友好協会理事、(社)バングラデシュ友好協会理事、茨城県日韓親善協会常任副会長、茨城空港サポータズ顧問なども務めている。長きにわたってモンゴル国との交流促進に貢献したとして、2008年にモンゴル国から北極星勲章(外国人に与えられる称号としては最高位)を授与された。茨城県議・水戸市議らでつくる議員連盟「拉致問題を考える茨城県地方議員連絡会」の座長をも務め、北朝鮮による拉致被害者救出運動にも取り組んでいた。
脚注
[編集]- ^ a b 自民党茨城県連・県議会議員の紹介
- ^ “歴代正副議長名簿”. www.pref.ibaraki.jp. 2021年4月28日閲覧。
- ^ a b “石川多聞さん死去 80歳 元茨城県議会議長”. 茨城新聞. 2023年10月24日閲覧。
- ^ “城里町長選に石川氏出馬へ”. 産経ニュース (産経新聞社). (2014年8月13日) 2014年8月13日閲覧。
- ^ “城里町長選、新人一騎打ち”. 産経ニュース (産経新聞社). (2014年9月17日) 2014年9月17日閲覧。
- ^ “城里町長に上遠野氏 36歳、茨城県内首長で最年少”. 産経ニュース (産経新聞社). (2014年9月22日) 2014年9月22日閲覧。