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亀井善之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
亀井 善之
かめい よしゆき
内閣広報室より公表された肖像
2003年 撮影)
生年月日 (1936-04-30) 1936年4月30日
出生地 日本の旗 日本 神奈川県伊勢原市
没年月日 (2006-05-12) 2006年5月12日(70歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都新宿区慶應義塾大学病院
出身校 慶應義塾大学経済学部卒業
前職 亀井善彰参議院議員秘書
所属政党 自由民主党旧渡辺派山崎派
称号 正三位
旭日大綬章
経済学士(慶應義塾大学・1962年
配偶者 亀井鍈子
子女 長男・亀井善太郎(元衆議院議員)
親族 祖父・亀井藤蔵(元神奈川県会議員
父・亀井善彰(元参議院議員
公式サイト かめい善之 ホームページ(2006年4月5日時点のアーカイブ)

日本の旗 第34-35代 農林水産大臣
内閣 第1次小泉第1次改造内閣
第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
在任期間 2003年4月1日 - 2004年9月27日

内閣 第1次橋本内閣
在任期間 1996年1月11日 - 1996年11月7日

選挙区旧神奈川5区→)
神奈川16区
当選回数 9回
在任期間 1979年10月30日 - 1983年11月28日
1986年7月8日 - 2006年5月12日
テンプレートを表示

亀井 善之(かめい よしゆき、1936年昭和11年〉4月30日[1] - 2006年平成18年〉5月12日)は、日本政治家衆議院議員(自民党[2]、9期)。位階正三位

運輸大臣第1次橋本内閣)、農林水産大臣第1次小泉内閣第2次小泉内閣)を歴任した。

来歴

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神奈川県中郡成瀬村[3](現伊勢原市)出身。亀井善彰の四男[3]

1955年(昭和30年)、神奈川県立湘南高等学校卒業[1]1962年(昭和37年)、慶應義塾大学経済学部卒業[1][2]大日本製糖、神糧物産でのサラリーマン生活を経て、父親の秘書となる。

1979年(昭和54年)、自由民主党から衆議院議員に初当選(当選同期に佐藤信二保利耕輔畑英次郎麻生太郎小里貞利岸田文武白川勝彦丹羽雄哉亀井静香吹田愰宮下創平船田元など)。自民党では中曽根康弘渡辺美智雄派に属した。1988年(昭和63年)、運輸政務次官[1]

1996年(平成8年)、第1次橋本内閣運輸大臣として初入閣。2003年(平成15年)には農林水産大臣であった大島理森が元秘書の献金流用疑惑で辞任すると、大島の後任として再び入閣した。山崎派(近未来政治研究会)の最高幹部の一人として同派の事務総長を長期にわたって務め、山崎拓を支えた。

2005年(平成17年)の郵政国会では6月27日自民党総務会郵政民営化修正案の了承決議に自民党総務として賛成票を投じた。

2006年(平成18年)初頭から病気のため療養していたが、同年5月12日、膵臓がんのため、東京都新宿区の慶應義塾大学病院で死去した[4]。70歳没。死没日付をもって正三位に叙され、旭日大綬章を追贈された。追悼演説は同年6月8日の衆議院本会議で、平沼赳夫により行われた。

亀井の死去により、公職選挙法の規定に基づき、神奈川16区補欠選挙が2006年(平成18年)10月22日に執行され、政策秘書であった長男の亀井善太郎が当選した。

人物

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座右の銘は「初心忘るべからず」[1]。趣味は囲碁読書ウォーキングゴルフ[1]住所神奈川県伊勢原市下落合[2]

略歴

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家族・親族

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亀井家

著作

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 農林水産大臣 亀井 善之首相官邸公式サイト。2019年11月2日閲覧。
  2. ^ a b c 『政治家人名事典』152頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第15版 上』カ45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月2日閲覧。
  4. ^ 第164回 衆議院 本会議 第35号 平成18年6月8日 - 国会会議録検索システム

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。

外部リンク

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公職
先代
大島理森
日本の旗 農林水産大臣
2003年 - 2004年
次代
島村宜伸
先代
平沼赳夫
日本の旗 運輸大臣
1996年
次代
古賀誠
議会
先代
平沼赳夫
日本の旗 衆議院議院運営委員長
1997年 - 1998年
次代
中川秀直
先代
田名部匡省
日本の旗 衆議院運輸委員長
1991年
次代
久間章生