野中英二
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野中 英二 のなか えいじ | |
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生年月日 | 1920年1月16日 |
出生地 | 埼玉県加須市 |
没年月日 | 2015年2月25日(95歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学法学部 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
親族 | 孫・野中厚(衆議院議員) |
第18代 国土庁長官 | |
内閣 | 宇野内閣 |
在任期間 | 1989年6月3日 - 1989年8月10日 |
選挙区 | 旧埼玉4区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1969年12月28日 - 1983年11月28日 1986年7月7日 - 1990年1月24日 |
野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 2015年2月25日)は、日本の政治家。勲章は勲一等瑞宝章。
国土庁長官(第18代)、衆議院議員(6期)、埼玉県議会議員(3期)等を歴任した。
衆議院議員の野中厚は孫。
概要
[編集]埼玉県加須市生まれ。旧制粕壁中学校、慶應義塾大学法学部卒業。
大越村議会議員、埼玉県議会議員を経て、1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区(定数3)から無所属で出馬したが、次点で落選した。1969年、第32回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区から再び無所属で出馬し、得票数2位で当選した(野中に代わり、日本社会党の板川正吾が落選し、保守系で3議席を独占した)。当選後、自由民主党に入党。1983年、第37回衆議院議員総選挙では旧埼玉4区で次点で落選した。1986年の第38回衆議院議員総選挙では一転、旧埼玉4区でトップ当選して返り咲いた。
1989年、宇野内閣で国土庁長官に任命され初入閣したが、宇野宗佑首相は第15回参議院議員通常選挙で大敗し、退陣を表明。野中もわずか69日で国務大臣を退任した。1990年の第39回衆議院議員総選挙では旧埼玉4区で次点で落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙でも自民党の公認を得られず、旧埼玉4区から無所属で立候補したが再び次点で落選した。政界を引退後、羽生領島中領用排水路土地改良区の理事長を務めた。1991年、勲一等瑞宝章受章[1]。
2015年2月25日、老衰のため死去した[2][3]。95歳没。
脚注
[編集]- ^ 「秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、在日外国人、外国人の受章者」『読売新聞』1991年11月3日朝刊
- ^ “野中英二氏が死去 元国土庁長官”. 日本経済新聞. (2015年2月26日) 2015年9月10日閲覧。
- ^ “野中元国土庁長官が死去”. 埼玉新聞. (2015年2月26日) 2015年9月10日閲覧。
議会 | ||
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先代 堀之内久男 |
衆議院決算委員長 1987年 - 1988年 |
次代 宮下創平 |
先代 塩川正十郎 |
衆議院商工委員長 1980年 - 1981年 |
次代 渡部恒三 |
公職 | ||
先代 内海英男 |
国土庁長官 第18代:1989年 |
次代 石井一 |