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大島秀一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大島 秀一(おおしま ひでいち、1897年明治30年〉2月28日[1][2] - 1965年昭和40年〉4月8日[1][2][3])は、大正から昭和期の実業家政治家衆議院議員(3期)、主婦と生活社創業者。

経歴

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新潟県[注 1]西蒲原郡[2]峰岡村[1]巻町を経て現新潟市西蒲区)で生まれる。1922年(大正11年)信愛学院を卒業した[2][3][4]

1921年(大正10年)太陽印刷を設立[2][4]。太陽印刷工業取締役社長に就任[3]。1946年(昭和21年)太陽印刷を新元社に変更し『主婦と生活』を創刊[2][4]。1948年(昭和23年)新元社を主婦と生活社に改名し社長に就任[2][4]。1957年(昭和32年)河出書房(現河出書房新社)から『週刊女性』を引き継いだ[2][4]。その他、主婦と生活文化学園長、日本出版販売取締役、日本出版協会会長などを務めた[1][2][4]

1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙全国区から緑風会公認で出馬して落選[5]。1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙新潟県第1区から自由党公認で出馬して初当選[1][2][3][6]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙では次点で落選[7]。その後、第27回第28回総選挙で再選され[7]、衆議院議員に通算3期在任した[1][2][3]。この間、第2次岸内閣通商産業政務次官衆議院商工委員長、自由党政調会国土副部会長、自由民主党文化局長、同党総務、同党新潟県連副会長などを務めた[1][2][3]。その後、第29回総選挙に立候補したが落選した[8]

1965年(昭和40年)4月8日死去、68歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される[9]

親族

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  • 子息 大島重次(主婦と生活社社長)[4]
  • 弟 遠藤左介(主婦と生活社会長)[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』129頁では東京都出身。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『越佐人物誌 上巻』181頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』110頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』129頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『出版文化人物事典』75頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』541頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』169頁。
  7. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』170頁。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』171頁。
  9. ^ 『官報』第11498号10頁 昭和40年4月12日号

参考文献

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  • 牧野利平編『越佐人物誌 上巻』野島出版、1972年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『出版文化人物事典:江戸から近現代・出版人1600人』日外アソシエーツ、2013年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
中村幸八
日本の旗 衆議院商工委員長 次代
中川俊思