大島秀一
大島 秀一(おおしま ひでいち、1897年〈明治30年〉2月28日[1][2] - 1965年〈昭和40年〉4月8日[1][2][3])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)、主婦と生活社創業者。
経歴
[編集]新潟県[注 1]西蒲原郡[2]峰岡村[1](巻町を経て現新潟市西蒲区)で生まれる。1922年(大正11年)信愛学院を卒業した[2][3][4]。
1921年(大正10年)太陽印刷を設立[2][4]。太陽印刷工業取締役社長に就任[3]。1946年(昭和21年)太陽印刷を新元社に変更し『主婦と生活』を創刊[2][4]。1948年(昭和23年)新元社を主婦と生活社に改名し社長に就任[2][4]。1957年(昭和32年)河出書房(現河出書房新社)から『週刊女性』を引き継いだ[2][4]。その他、主婦と生活文化学園長、日本出版販売取締役、日本出版協会会長などを務めた[1][2][4]。
1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区から緑風会公認で出馬して落選[5]。1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で新潟県第1区から自由党公認で出馬して初当選[1][2][3][6]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙では次点で落選[7]。その後、第27回、第28回総選挙で再選され[7]、衆議院議員に通算3期在任した[1][2][3]。この間、第2次岸内閣通商産業政務次官、衆議院商工委員長、自由党政調会国土副部会長、自由民主党文化局長、同党総務、同党新潟県連副会長などを務めた[1][2][3]。その後、第29回総選挙に立候補したが落選した[8]。
1965年(昭和40年)4月8日死去、68歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される[9]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』129頁では東京都出身。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 牧野利平編『越佐人物誌 上巻』野島出版、1972年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『出版文化人物事典:江戸から近現代・出版人1600人』日外アソシエーツ、2013年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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