高橋清一郎
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高橋 清一郎 たかはし せいいちろう | |
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生年月日 | 1910年2月3日 |
出生地 | 日本・新潟県新潟市 |
没年月日 | 1972年10月29日(62歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部 |
前職 | 新潟県議会議員 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
選挙区 | 旧新潟1区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1958年5月23日 - 1972年10月29日 |
高橋 清一郎(たかはし せいいちろう 1910年2月3日[1] - 1972年10月29日)は、衆議院議員を5期務めた日本の政治家である。
略歴
[編集]1910年(明治43年)2月、新潟市に生まれる。私立新潟夜間中学校、高検を経て新潟高等学校卒業。1936年(昭和11年) 京都帝国大学法学部卒業。
1937年(昭和12年)、南方に出征。
1947年(昭和22年)、新潟県議会議員・新潟市議会議員。1958年(昭和33年)5月、第28回衆議院議員総選挙で新潟1区初当選(無所属)し、以後5期連続で務める[2]。
1964年(昭和39年)7月、第3次池田改造内閣防衛政務次官。同年11月、第1次佐藤内閣防衛政務次官。1967年(昭和42年)11月、第2次佐藤第1次改造内閣郵政 政務次官。1971年(昭和46年)7月、衆議院逓信委員長。
1972年(昭和47年)7月、自由民主党新潟県支部連合会 会長。同年10月29日、現職のまま選挙中に癌を患い死去。
選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第28回衆議院議員総選挙 | 1958年 5月22日 | 48 | 旧新潟1区 | 無所属(保守系) | 3万8650票 | 14.6% | 3 | 3/10 | / |
当 | 第29回衆議院議員総選挙 | 1960年11月20日 | 50 | 旧新潟1区 | 自由民主党 | 6万4168票 | 22.9% | 3 | 1/8 | / |
当 | 第30回衆議院議員総選挙 | 1963年11月21日 | 53 | 旧新潟1区 | 自由民主党 | 6万8478票 | 23.6% | 3 | 2/6 | / |
当 | 第31回衆議院議員総選挙 | 1967年 1月29日 | 56 | 旧新潟1区 | 自由民主党 | 7万9553票 | 26.0% | 3 | 2/6 | / |
当 | 第32回衆議院議員総選挙 | 1969年12月27日 | 59 | 旧新潟1区 | 自由民主党 | 6万1046票 | 21.7% | 3 | 3/5 | / |
脚注
[編集]- ^ 『読売年鑑 昭和34年版』420頁。
- ^ “高橋清一郎 | 衆議院議員の実績 | 国会議員白書”. kokkai.sugawarataku.net. 2023年10月7日閲覧。
- ^ “高橋清一郎 | 衆議院議員の実績 | 国会議員白書”. kokkai.sugawarataku.net. 2023年10月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 『読売年鑑 昭和34年版』読売新聞社、1958年。
- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)
議会 | ||
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先代 金子岩三 |
衆議院逓信委員長 1971年 - 1972年 |
次代 宇田国栄 |