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井原岸高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井原 岸高
いはら きしたか
生年月日 1903年4月23日
出生地 日本の旗 日本 愛媛県宇摩郡三島町
(現・四国中央市
没年月日 (1992-09-25) 1992年9月25日(89歳没)
出身校 三島尋常高等小学校卒業
(現・四国中央市立三島小学校
前職 土建業
所属政党 自由民主党
称号 正四位
勲一等瑞宝章
勲二等旭日重光章
配偶者 井原トラ
子女 息子・井原正孝(井原工業社長)
親族 娘婿・越智正(元大西町長)
孫・越智忍(愛媛県議会議員・元今治市長)
孫・井原巧(衆議院議員・前参議院議員・前四国中央市長)

選挙区 旧愛媛2区
当選回数 8回
在任期間 1958年2月9日 - 1969年12月2日
1972年10月8日 - 1976年12月9日
1979年10月7日 - 1980年5月19日

愛媛県の旗 第41代愛媛県議会議長
在任期間 1947年5月24日 - 1948年5月31日

愛媛県の旗 第32代愛媛県議会副議長
在任期間 1953年4月27日 - 1954年3月16日

選挙区 宇摩郡選挙区
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井原 岸高(いはら きしたか、1903年明治36年)4月23日[1][2] - 1992年平成4年)9月25日[1])は、日本の政治家衆議院議員(8期)。

経歴

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愛媛県[3]、のちの伊予三島市[1][2](現四国中央市)で生まれた。1916年(大正5年)三島尋常高等小学校[1][2][注釈 1](現四国中央市立三島小学校)卒業後、土建業を営み、丸和商事、井原建設工業(株)を創立、社長、会長となる[3]

政界では、三島町会議員となり[3]1947年(昭和22年)に愛媛県議会議員に当選して2期在任し、県政クラブ会長、同副議長、同議長を歴任[4][5]

1958年(昭和33年)2月9日に行われた第27回衆議院議員総選挙愛媛2区補欠選挙自由民主党から出馬して初当選し[3][6]、以後補欠選挙での当選2回を含めて通算8期務める[1][3]。この間、第2次池田内閣農林政務次官第2次池田第3次改造内閣第1次第2次佐藤内閣に至るまで法務政務次官、第3次池田内閣防衛政務次官を務め[1][2][3]1968年(昭和43年)に逓信委員会委員長に選出、翌年には日本社会党柳田秀一らから解任決議が出されたこともあった(否決)[7]

運輸決算委員長も歴任。派閥としては佐藤派を経て、田中派の旗揚げに理事として参加。

1977年(昭和52年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章、1987年(昭和62年)春の叙勲で勲一等瑞宝章受章[5][8][9]

1992年(平成4年)9月25日死去、89歳。死没日をもって正四位に叙される[10]

国政選挙歴

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当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第27回衆議院議員総選挙補欠選挙 1958年2月9日 54 旧愛媛2区 自由民主党 6万6971票 27.3% 2 2/6 /
第28回衆議院議員総選挙 1958年05月22日 55 旧愛媛2区 自由民主党 5万8328票 21.7% 3 2/6 /
第29回衆議院議員総選挙 1960年11月20日 57 旧愛媛2区 自由民主党 5万3225票 19.8% 3 3/6 /
第30回衆議院議員総選挙 1963年11月21日 60 旧愛媛2区 自由民主党 5万6894票 21.3% 3 3/7 /
第31回衆議院議員総選挙 1967年01月29日 63 旧愛媛2区 自由民主党 6万3753票 23.2% 3 3/5 /
第32回衆議院議員総選挙 1969年12月27日 66 旧愛媛2区 自由民主党 5万6029票 19.7% 3 4/6 /
第32回衆議院議員総選挙補欠選挙 1972年10月8日 69 旧愛媛2区 自由民主党 8万2054票 35.3% 2 2/4 /
第33回衆議院議員総選挙 1972年12月10日 69 旧愛媛2区 自由民主党 6万7842票 23.2% 3 2/7 /
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月05日 73 旧愛媛2区 自由民主党 5万8650票 18.5% 3 4/6 /
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月07日 76 旧愛媛2区 自由民主党 7万3869票 24.6% 3 2/6 /
第36回衆議院議員総選挙 1980年06月22日 77 旧愛媛2区 自由民主党 6万4012票 20.4% 3 4/6 /
第37回衆議院議員総選挙 1983年12月18日 80 旧愛媛2区 自由民主党 4万2354票 13.9% 3 5/6 /

第31回までは[6]第32回から第35回までは[11]第36、37回は[12]が出典。

家族

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息子の井原正孝は井原工業社長[5]。元大西町長の越智正は娘婿で、その息子越智忍(岸高の孫)も愛媛県議会議員。直系の孫にあたる井原巧は四国中央市長、参議院議員を経て、衆議院議員。

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』39頁では三島町立尋常小学校。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』73頁。
  2. ^ a b c d 『愛媛県人名大事典』50頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』39頁。
  4. ^ 愛媛県庁/歴代議長・副議長一覧”. www.pref.ehime.jp. 2021年4月29日閲覧。
  5. ^ a b c 井原 岸高」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E4%BA%95%E5%8E%9F%20%E5%B2%B8%E9%AB%98コトバンクより2023年9月23日閲覧 
  6. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』338頁。
  7. ^ 第61回国会 衆議院 本会議 第40号 昭和44年5月29日
  8. ^ 『官報』号外第29号1頁 昭和52年5月2日号
  9. ^ 『官報』号外特第44号1頁 昭和62年4月30日号
  10. ^ 『官報』第1013号9-10頁 平成4年10月12日号
  11. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』339頁。
  12. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』340頁。

参考文献

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  • 『愛媛県人名大事典』愛媛新聞社、1987年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
臼井莊一
日本の旗 衆議院決算委員長
1975年 - 1976年
次代
村山達雄
先代
細田吉藏
日本の旗 衆議院運輸委員長
1972年 - 1973年
次代
三池信
先代
古川丈吉
日本の旗 衆議院逓信委員長
1968年 - 1970年
次代
金子岩三