池田敬八
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池田 敬八(いけだ けいはち、旧姓・赤坂、1874年(明治7年)7月3日[1] - 1963年(昭和38年)3月23日[2])は、日本の政治家・衆議院議員(立憲民政党)[3][4]、大蔵官僚、弁護士[5]。カナモジ会理事[6]。
経歴
[編集]三重県度会郡宇治山田町(現在の伊勢市)出身[7]。三重平民・赤坂敬二の三男[1][7]、あるいは六男として生まれ[3][5]、池田房明の養子となった[1][7]。
1901年(明治34年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業し、翌年に高等文官試験に合格した[1][7]。大蔵省専売局事務官、専売局参事、専売局長官官房監理課長などを経て、1917年(大正6年)からは印刷局長を務めた[1]。
1928年(昭和3年)、退官[6]。三重県第二区より第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。立憲民政党に所属[3][4]。第17回、第18回でも再選された。
人物
[編集]趣味は詩書[3]、謡曲、剣道[7]。住所は東京都文京区駕籠町[6]。東京在籍[5]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 池田家
- 養父・房明[1][3]
- 妻・けい(1870年 - ?、養父・池田房明の長女)[3][7]
- 女・静江(1900年 - ?)[1]
- 女・たえ(1909年 - ?、修之助の妻)[5]
- 養子・修之助(1904年 - ?、広島、井上貫聿の五男)[3][7]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』い170頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月20日閲覧。
- ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年、正誤並びに追池田 敬八記表
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第9版』イ121頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月21日閲覧。
- ^ a b 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月21日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』イ113頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月21日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第15版 上』イ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第11版』イ94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月20日閲覧。
- ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第11版』帝国秘密探偵社ほか、1935年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。