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加藤清二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤 清二
かとう せいじ
生年月日 1912年6月25日
出生地 愛知県名古屋市
没年月日 (1994-08-26) 1994年8月26日(82歳没)
出身校 愛知県第一師範学校
所属政党左派社会党→)
日本社会党
称号 従三位
勲一等瑞宝章

選挙区 旧愛知2区
当選回数 9回
在任期間 1952年10月1日 - 1958年4月25日
1960年11月20日 - 1979年9月7日
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加藤 清二(かとう せいじ、1912年明治45年)6月25日[1] - 1994年平成6年)8月26日[1])は、日本の労働運動家政治家衆議院議員(9期)。

経歴

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愛知県名古屋市出身[1]1932年愛知県第一師範学校本科を卒業し[2]1935年、同専攻科を卒業[1][2]。愛知県下の小学校教師、青年学校教師を務めた[2]

戦後、名古屋市教員組合書記長、愛知県教員組合書記長を歴任[2]1952年10月、第25回衆議院議員総選挙愛知県第2区から左派社会党所属で出馬し初当選[2]。以後、第26回第27回と、第29回から第34回までの総選挙で当選し、衆議院議員を通算9期務めた[2]。この間、国土開発縦貫自動車道建設審議会委員、検察官適格審査会委員、裁判官訴追委員会第二代理委員長、衆議院産業公害対策特別委員長、同決算委員長、日本社会党中小企業部長、同商工部長、同会計監査、同産業貿易委員長、同繊維対策委員長、同政策審議会副会長、同愛知県連会長などを歴任[2]

その他、全国学校生活協同組合理事長、総評福祉協議会議長、東京労働金庫理事などを務めた[2]

1983年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章[3]

1994年8月26日死去、82歳。死没日をもって従三位に叙される[4]

脚注

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  1. ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』163頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』161頁。
  3. ^ 『官報』号外第29号15頁 昭和58年4月30日号
  4. ^ 『官報』第1484号9-10頁 平成6年9月13日号

参考文献

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議会
先代
楯兼次郎
日本の旗 衆議院決算委員長
1996年 - 1997年
次代
高田富之