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武市彰一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武市彰一
たけいち しょういち
生年月日 (1862-09-15) 1862年9月15日
出生地 徳島県
没年月日 (1939-12-29) 1939年12月29日(77歳没)
前職 徳島市長

第10代 徳島市長
当選回数 1回
在任期間 1922年4月18日 - 1925年11月14日
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武市 彰一(たけいち しょういち、文久2年8月22日[1]1862年9月15日) - 1939年昭和14年)12月29日 [2])は、日本政治家衆議院議員徳島市長徳島県出身。

経歴

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1894年明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙に徳島県第三区から出馬し当選。その後、第4回第6回総選挙でも当選した。1908年(明治41年)の第10回総選挙に出馬するも岩本晴之に敗れ落選。その後、1915年大正4年)に立憲同志会より第12回総選挙に出馬し青木磐雄に敗れまたも落選。1917年(大正6年)の第13回総選挙では憲政会より出馬し当選。衆議院議員を通算四期務めた。

1922年(大正11年)に一坂俊太郎に代わり徳島市長に就任、1925年(大正14年)まで務めた。

脚注

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  1. ^ 漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.26。
  2. ^ 参考文献『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』391頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職
先代
一坂俊太郎
徳島市長
第10代:1922 - 1925
次代
矢野猪之八