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加藤知正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤知正
かとう ちせい
生年月日 1873年11月19日
出生地 日本の旗 日本 新潟県古志郡下塩谷村(現新潟県長岡市)
没年月日 (1947-04-23) 1947年4月23日(73歳没)
出身校 東京高等蚕糸学校卒業(現東京農工大学工学部)
前職 南光社社長
所属政党 (立憲政友会→)
翼賛政治会
子女 養子・加藤洽三(医師、甥、渡辺龍聖三男)

選挙区 (新潟県第6選挙区→)
(新潟県第2選挙区→)
新潟県第3選挙区
当選回数 6回
在任期間

1924年5月10日 - 1936年1月21日

1937年4月30日 - 1945年12月18日
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加藤 知正(かとう ちせい、1873年明治6年)11月19日[1] - 1947年昭和22年)4月23日[2])は、日本の政治家衆議院議員(6期)。

経歴

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新潟県古志郡下塩谷村[3]、加藤周浄の二男として生まれる[4]。1900年、東京高等蚕糸学校(のち東京繊維専門学校を経て、現在の東京農工大学)を卒業[2][3][4]。北越蚕業講習所教頭[2][3]、大日本蚕糸会技師、同理事[2][3]、東京高等蚕糸学校講師、南光社社長などを歴任し[2][3]1924年第15回衆議院議員総選挙において立憲政友会公認で立候補して当選。以来第19回総選挙を除いて通算6期務める[2]1942年第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選[5]。そのため、戦後、公職追放となった[6]。追放中の1947年死去。

親族

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  • 渡辺龍聖(教育者)[4]
  • 養子 加藤洽三(医師、甥、渡辺龍聖三男)[4]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第六十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1935年、9頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』162頁。
  3. ^ a b c d e 議会新聞社 編『翼賛議員銘鑑』1943年、103頁。NDLJP:1439721 
  4. ^ a b c d 『人事興信録』第14版 上、カ22頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』126頁。
  6. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日1面。

参考文献

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  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。