山田忠兵衛
表示
山田 忠兵衛(やまだ ちゅうべえ、1841年(天保12年8月)[1] - 1907年(明治40年)11月12日[2])は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]東京都出身[1]。東京府会議員、同常置委員、芝区長心得、東京市会議員、同参事会員、東京市収入役、東京商工銀行頭取、三田銀行取締役、芝浦鉱泉(株)取締役となる[1]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において東京府第2区から立候補したが落選した[3]。1894年の第3回衆議院議員総選挙では6票差で落選[4]。同年の第4回衆議院議員総選挙で当選した[5]。1898年の第5回衆議院議員総選挙に出馬しなかった。
1907年(明治40年)11月12日、神奈川県鎌倉市の円覚寺富陽庵の古井戸に投身自殺。遺体は同年12月22日に発見された[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。