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信太儀右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
信太儀右衛門

信太 儀右衛門(しだ ぎえもん、1892年11月29日[1] - 1970年4月6日[1][2])は、日本政治家衆議院議員(5期)。

経歴

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秋田県山本郡金岡村(現:三種町)出身[3]早稲田大学政治経済科を経て[4]札幌農学校に学ぶ[1][4]。その後は金岡村長[1][3][4]、秋田県議を歴任し[1][3][4]1924年第15回衆議院議員総選挙憲政会公認で立候補して初当選する(後立憲民政党)。以来当選5回。秋田魁新報社監査役や能代酒造社長などを務めた[2][3]

戦後、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となる[5]。追放解除後は政界に再び立候補することは無かった。

1970年4月6日、自宅の風呂場から出火、妻を助けようと家の中に入り、焼死した[1]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『秋田人名大事典』、293頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』322頁。
  3. ^ a b c d 『翼賛議員銘鑑』166頁
  4. ^ a b c d 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』321頁。
  5. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面

参考文献

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  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『秋田人名大事典』秋田魁新報社、2000年。