武田徳三郎
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武田 徳三郎(たけだ とくさぶろう、明治5年2月10日[1](1872年3月18日) - 昭和25年(1950年)5月23日[2])は日本の政治家、新聞記者。衆議院議員(6期、立憲政友会)
略歴
[編集]1872年(明治5年)2月、新潟県東頸城郡大島村(現在の上越市)に生まれる。和仏法律学校(現在の法政大学)を卒業し、福岡日日新聞記者となる、その後、日露戦争に従軍し、日本新聞記者を経て、高岡日報社を創立し、その主幹となる。また、関川電力・高岡ステンレス各取締役、頸城鉄道・中央電気各監査役などを歴任する。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選(以後6期当選)。山本悌二郎農林大臣の秘書官を務めた[3]。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。
戦後、公職追放となる[4]。1950年(昭和25年)死去。翌1951年(昭和26年)追放解除[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(日外アソシエーツ、2003)
- 『日本人物情報大系 第30巻』(皓星社、2000)
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』(衆議院事務局、1940)
- 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』(帝国日日新聞社、1935)
- 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』(東京平和新報社出版部、1928)
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』(日比谷政経会、1949年)
- 『長岡大学 研究論叢第4号』「大竹賢治の企業者活動-頸城鉄道の設立と展開-」