飯塚春太郎
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飯塚 春太郎(いいづか はるたろう、1865年2月6日(慶応元年1月11日[1][2])- 1938年(昭和13年)1月8日[3][4])は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]上野国山田郡、のちの群馬県山田郡広沢村[4](現桐生市広沢町[5])で、賀茂神社祠官・飯塚二葉の長男として生まれる[5][6]。群馬県中学校(現群馬県立前橋高等学校)を卒業し[5][6]、1882年(明治15年)家督を相続[2]。1890年(明治23年)東京法学院(現中央大学)英語法科を卒業した[2][3][4][5][6]。
広巾輸出絹織物製造業を営む[3][4][5]。桐生織物同業組合長、渡良瀬水電取締役、日本絹撚取締役、両毛整織社長などを務め[2][3][4]、桐生の織物業の近代化に貢献した[5]。
政界では、1893年(明治26年)群馬県会議員に選出され2期在任した[3][5][6]。その後政界から離れたが[6]、1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙で群馬県第3区から出馬して当選し[3][5][6]、以後、第20回総選挙まで連続7回の当選を果たした[3][4][5][6]。この間、衆議院南洋視察団長、憲政会会計監督、同群馬支部長、立憲民政党群馬支部長、衆議院全院委員長、関税調査会委員などを務めた[4][5][6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。