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井阪豊光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井阪豊光

井阪 豊光(いさか とよみつ、1881年明治14年)12月9日[1]1966年昭和41年)2月26日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会政友本党立憲民政党→立憲政友会→昭和会)、外務政務次官大阪府岸和田市長弁護士

経歴

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大阪府泉南郡八木村(現在の岸和田市)に衆議院議員井阪光暉の長男として生まれる[1][3]1910年(明治43年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、弁護士を開業した[1]

1920年大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第15回第16回と当選を重ねた。その後、岸和田市長に選出された。

1932年(昭和7年)には第18回衆議院議員総選挙で返り咲きを果たした。 1935年(昭和10年)には政友会を離脱して昭和会を結党に参加[4]。 昭和会は第20回衆議院議員総選挙後に解散したが、第21回まで連続当選を果たした。その間、岡田内閣で外務政務次官に就任した。

戦後、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となる[5]。追放解除後は政界に復帰することはなかった。

その他、財団法人寺田病院理事、尼ヶ崎城内土地株式会社監査役、水間鉄道取締役、帝国護謨製造株式会社取締役などを務めた[3]

1962年(昭和37年)10月、岸和田市名誉市民の称号を贈られる[6]

脚注

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  1. ^ a b c 人事興信録 第10版 1934.
  2. ^ 衆議院議員名鑑 1990.
  3. ^ a b 衆議院要覧 1942.
  4. ^ 内田鉄相、望月逓相ら政友会脱退組が組織『中外商業新報』昭和10年12月24日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、165頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 名誉市民”. 岸和田市. 2021年4月25日閲覧。

参考文献

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  • 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上巻』人事興信所、1934年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。