コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

中澤米太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中澤米太郎
なかざわ よねたろう
生年月日 (1903-09-26) 1903年9月26日
出生地 日本の旗 大阪府
没年月日 (1984-02-05) 1984年2月5日(80歳没)
出身校 東京高等師範学校研究科

当選回数 3回
在任期間 1961年12月16日 - 1973年12月14日
テンプレートを表示
中澤 米太郎 Portal:陸上競技
アムステルダム五輪の中澤(1928年)
選手情報
ラテン文字 Yonetaro NAWAKAZA [1][2]
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技 (跳躍競技)
種目 棒高跳
大学 日本体育会体操学校
東京高等師範学校研究科
生年月日 (1903-09-26) 1903年9月26日
生誕地 大阪府
没年月日 (1984-02-05) 1984年2月5日(80歳没)
編集 テンプレートのヘルプを表示する

中澤 米太郎(なかざわ よねたろう、1903年明治36年)9月26日[3] - 1984年昭和59年)2月5日[4])は、日本の教育者政治家岸和田市長を3期12年(1961年 - 1973年)務めた。

青年期には陸上競技(跳躍競技)選手として活躍し、棒高跳の日本記録をたびたび更新した。1928年アムステルダムオリンピックでは棒高跳十種競技に出場、棒高跳で6位入賞を果たしている。

経歴

[編集]

大阪府で生まれる[4]。大阪府立岸和田中学校(現在の大阪府立岸和田高等学校)卒業[4]関西学院に在籍したのち[注釈 1]、日本体育会体操学校(現在の日本体育大学)に進学卒業、東京高等師範学校研究科を卒業[3]

陸上競技選手としての活躍

[編集]

1922年(大正11年)、岸和田中学校5年次に日本陸上競技選手権大会に出場し、棒高跳で日本新記録(3m33)を樹立[4][7]。なお、この大会では走高跳でも4人同順の優勝を果たしている[8]

棒高跳では、1928年まで森岡左喜生(早稲田大学)と競いつつ各種大会でたびたび日本記録を更新した[7][5]。高師研究科在籍中の1928年5月20日、日本陸上競技選手権大会の棒高跳で出した記録(3m91)が、中沢が更新した最後の日本記録である[5]

1928年アムステルダムオリンピック棒高跳十種競技で出場。日本選手団の旗手を務めた[9](選手団の名簿に「旗手」という肩書とともに載せられた最初の人物である[10])。棒高跳では30余人で争われた予選を勝ち抜き[11]6位入賞を果たした[4][12]。中澤は日本体育大学最初のオリンピック選手と位置づけられている[13]

1929年、東京高等師範学校研究科を卒業した[14]

教育者・研究者としての活動

[編集]

浪速高等学校教授、大阪商科大学高等商業部助教授、同生徒主事を歴任[3]

1946年、岸和田市商業学校長(現岸和田市立産業高等学校)となる[3]。「戦後復興は産業教育で」と力説し、スポーツ教育・部活動にも力を注いだ[9]1961年に岸和田市立産業高等学校校長を退職[3]浪商学園評議員を務めており、大阪体育大学の設立(1965年)に際して学園と大島鎌吉を仲介した[9]

泉州地域の産業史研究を行っており、寺田財閥の研究が知られる[15]

岸和田市長

[編集]

1961年12月16日、岸和田市長に就任し、市長を三期務める[3]。この間、市民プールの設置、木材コンビナートの建設、臨海工業地帯造成埋立工事の推進、体育館・運動場の設置、下水処理場の建設などに尽力した[3]。近畿市長会長を務めた[4]。四期目を目指した市長選挙で原曻に敗れ[16]1973年12月14日に退任した[3]

1984年2月死去。名誉市民の称号を追贈される[16][17]

著作

[編集]
  • 『陸上競技者に贈る』日本体育学会、1931年。
  • 『国防体育訓練指針:戦場運動・海洋訓練・自転車訓練』青年教育普及会、1943年。
  • 『泉州繁栄記:明治・大正・昭和前期の 銀行編』中澤米太郎、1977年。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 日本学生陸上競技連合は1923年5月時点(日本体育会体操学校進学前)に「関西学院」に在籍していたとし[5]、関西学院大学はアムステルダムオリンピック出場の中沢は同窓生であるとしている[6]

出典

[編集]
  1. ^ Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上連盟、2016年、2019年10月10日閲覧 
  2. ^ YONETARO NAKAZAWA”. IOC. 2019年10月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長』第2巻、777頁。
  4. ^ a b c d e f 『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』438頁。
  5. ^ a b c 日本学生記録の変遷 男子棒高跳”. 日本学生陸上競技連合. 2020年2月26日閲覧。
  6. ^ オリンピックと関西学院”. 関西学院事典 増補改訂版. 2020年2月26日閲覧。
  7. ^ a b 過去の優勝者・記録 男子棒高跳”. 第103回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟 (2019年). 2020年2月26日閲覧。
  8. ^ 過去の優勝者・記録 男子走高跳”. 第103回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟 (2019年). 2020年2月26日閲覧。
  9. ^ a b c 伴義孝 2019, p. 25.
  10. ^ “主将は五輪で勝てないのジンクス破った小平奈緒 主将って何? 必要なのか?”. 産経新聞. (2018年2月24日). https://www.sankei.com/article/20180224-QXA34OY3U5L2RJUZWPZ2P3SZTQ/2/ 2020年2月26日閲覧。 
  11. ^ 中沢が棒高跳びで六位入賞『東京朝日新聞』昭和3年8月3日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p41-42 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  12. ^ オリンピック入賞者 第8回~第11回(1924~1936)”. 日本陸上競技連盟. 2020年2月26日閲覧。
  13. ^ 日本体育大学オリンピアンズクラブ”. 日本体育大学 (2015年). 2020年2月26日閲覧。
  14. ^ 過去の大会成績”. 筑波大学. 2020年9月29日閲覧。
  15. ^ 中尾清・松崎克彦・百武仁志 2019, p. 21.
  16. ^ a b 岸和田市の90年年表”. 岸和田市. 2020年2月26日閲覧。
  17. ^ 名誉市民”. 岸和田市. 2020年2月26日閲覧。

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]