神鞭知常
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神鞭 知常 こうむち ともつね | |
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生年月日 | 1848年9月1日 |
出生地 | 日本 丹後国与謝野郡石川村 |
没年月日 | 1905年6月21日(56歳没) |
前職 | 大蔵省官僚 |
所属政党 | 憲政本党 |
子女 | 神鞭常孝(長男) |
第5・7代 内閣法制局長官 | |
内閣 | 第2次松方内閣 |
在任期間 | 1896年9月30日 - 1897年10月28日 |
天皇 | 明治天皇 |
内閣 | 第1次大隈内閣 |
在任期間 | 1898年7月27日 - 1898年11月8日 |
天皇 | 明治天皇 |
選挙区 | 京都府選挙区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1890年7月1日 - 1902年12月28日 |
天皇 | 明治天皇 |
神鞭 知常(こうむち ともつね、1848年9月1日〈嘉永元年8月4日〉 - 1905年〈明治38年〉6月21日)は、日本の官僚、政治家。位階は正五位。
文官高等試験委員長、臨時政務調査委員、法制局長官などを歴任。大日本協会、国民同盟会、対露同志会などの組織結成に参加した。
経歴
[編集]- 嘉永元年(1848年)に鞭重蔵の長男として京都府の与謝野町石川に生まれる。京都に出て漢学、蘭学、英学を学ぶ。神社に奉仕をしていた縁で、姓に神の字を入れて神鞭と改名する。幕末に聡明さを買われ、宮津藩主に抜擢され江戸に出る。
- 明治2年(1869年)2月に神宮司別当、同年8月に宣教科となる。
- 明治3年(1870年)1月に権大属となる。同年7月に辞職した。
- 明治6年(1873年)に大蔵省を経て、翌年の明治7年(1874年)にアメリカ合衆国に出張。明治9年(1876年)3月~翌年の明治10年(1877年)まで、フィラデルフィア博覧会御用掛をつとめる。その間の明治9年の5月に内務省勤務となる。
- 明治12年(1879年)に再び大蔵省勤務となる。ともに、商務局勤務となる。
- 明治14年(1881年)に横浜正金銀行管理掛、同年4月に農商務権少書記官、8月に大蔵少書記官、同月から12月まで再び、農商務権少書記官、10月に書記局兼議案局勤務となる。
- 明治15年(1882年)9月に参事院員外議官補となる。
- 明治17年(1884年)2月に租税局、同年6月に主税局本部勤務となる。
- 明治23年(1890年)~明治27年(1894年)まで衆議院議員をつとめる。第1回総選挙で京都府から当選。
- 明治29年(1896年)~明治30年(1897年)10月までに内閣法制局長官兼内閣恩給局長をつとめた。
- 明治31年(1898年)7月~同年11月までは法制局長官だった。
- 明治31年8月~明治35年(1902年)8月までと、明治36年(1903年)3月~明治38年(1905年)6月まで再び衆議院議員をつとめた。同月21日に死去。墓所は青山霊園。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 末松謙澄 梅謙次郎 |
法制局長官 第5代:1896 - 1897 第7代:1898 |
次代 梅謙次郎 平田東助 |