賀茂神社 (桐生市)
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賀茂神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 群馬県桐生市広沢町6丁目833番地 |
位置 | 北緯36度22分15.7秒 東経139度20分57.8秒 / 北緯36.371028度 東経139.349389度座標: 北緯36度22分15.7秒 東経139度20分57.8秒 / 北緯36.371028度 東経139.349389度 |
主祭神 | 賀茂別雷神 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | (伝)第10代崇神天皇年間 |
本殿の様式 | 流造銅板葺 |
例祭 | 10月14日 |
主な神事 | 御篝神事 |
地図 |
賀茂神社(かもじんじゃ)は、群馬県桐生市広沢町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
祭神
[編集]歴史
[編集]崇神天皇の代に、豊城入彦命が山城国の賀茂神を勧請したと伝わる[1]。
延暦15年(796年)に美和神社とともに官社に列した(『日本後紀』)[2][3]。
元慶4年(880年)美和神社、甲波宿禰社、小祝社とともに正五位下勲十二等(『三代実録』)[2][3]。
延喜式神名帳では山田郡小社賀茂神社として挙げられている[2][3]。
源義家が後三年の役に出征するに際し当社に祈願し、凱旋の時神楽を奏したとの伝承がある[4]。
隣接する法楽寺はもとは当社の別当寺であり、同寺に伝わる木彫懸仏(桐生市指定重要文化財)は室町時代に作られた当社の御正体であると考えられている[5][6]。
太平洋戦争末期には空襲の激化に対応して、神体と参拝者の待避所とするため神社裏に横穴を掘り、昭和20年(1945年)5月24日に神体と神宝を奉遷した[7]。
伝説
[編集]アオダイショウの尾の切れたものが当社の神使であるとされ、殺傷すると祟りがあるという[8]。
当社の神は白馬を嫌うとされ、氏子は白馬を飼うことがない。他村の者が社前を白馬を牽いて通るだけで咎があったという[8]。
当社の氏子は鍛冶屋と桶屋を忌むといい、その音を神が嫌うことが理由であるとされる[8]。
当社の氏子は陸稲を作っても実らないとも変事があるともされ、陸稲を作ることがないとされる[9]。
境内
[編集]-
本殿
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石灯籠(桐生市指定文化財)
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神輿舎・神楽殿
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モミ(群馬県指定天然記念物)
摂末社
[編集]- 下賀茂神社
- 香取神社
- 鹿島神社
- 八坂神社
- 豊機社
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賀茂御祖神社
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香取神社・鹿島神社
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八坂神社
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豊機社
文化財
[編集]群馬県指定文化財
[編集]桐生市指定文化財
[編集]- 重要文化財(有形文化財)
- 無形民俗文化財
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ 桐生市史別巻編集委員会 1971, pp. 200–202.
- ^ a b c d e 桐生市史別巻編集委員会 1971, pp. 198–200.
- ^ a b c 桐生市史編纂委員会 1958, p. 187.
- ^ 桐生市史別巻編集委員会 1971, pp. 198–200, 1086–1087.
- ^ 桐生市史別巻編集委員会 1971, pp. 389–390.
- ^ “法楽寺御正体|桐生市ホームページ”. www.city.kiryu.lg.jp. 2024年8月20日閲覧。
- ^ 桐生市史編纂委員会『桐生市史』 下巻、桐生市史刊行委員会、1961年12月25日、268-270頁。doi:10.11501/3024355。(要登録)
- ^ a b c 桐生市史別巻編集委員会 1971, p. 1086.
- ^ 桐生市史別巻編集委員会 1971, pp. 1073–1074.
- ^ 賀茂神社のモミ群(桐生市ホームページ)。
- ^ 賀茂神社の石灯籠(桐生市ホームページ)。
- ^ 賀茂神社太々神楽(桐生市ホームページ)。
- ^ 賀茂神社御篝神事(桐生市ホームページ)。
- ^ 桐生市史別巻編集委員会 1971, pp. 203–204.
参考文献
[編集]- 桐生市史編纂委員会『桐生市史』 上巻、桐生市史刊行委員会、1958年8月15日。doi:10.11501/3024325。(要登録)
- 桐生市史別巻編集委員会 編『桐生市史』 別巻、桐生市役所、1971年3月1日。doi:10.11501/3021305。(要登録)