坂東勘五郎
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坂東 勘五郎(ばんどう かんごろう、1861年2月24日(万延2年1月15日) - 1918年(大正7年)3月23日)は、日本の政治家。実業家。徳島県東みよし町出身。
経歴
[編集]阿波国三好郡中庄村(現在の徳島県東みよし町)の郷士・坂東恒五郎の長男として生まれた。
徳島師範学校を卒業後、小学校教員、郡書記、県会議員、県会副議長を経て、1894年(明治27年)の第4回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し衆議院議員として初当選し、以来25年間に渡り国政に参与した。
在任中は、北海道縦貫自動車道の完成、全国の鉄道敷設に力を注いだ。また、地元である徳島県においても徳島鉄道を設立して社長に就任した。
1917年(大正7年)3月23日に急逝。享年58。墓所は阿南市羽ノ浦町にあり、阿南市指定史跡に選定されている。従五位勲三等瑞宝章受章。
参考文献
[編集]- 『講談社日本人名大辞典』(講談社)