小松三省
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小松 三省(こまつ さんせい、1858年11月14日(安政5年10月9日[1][2])- 1900年(明治33年)12月27日[1][2][3])は、明治期の新聞記者、政治家。衆議院議員。旧姓・江口。
経歴
[編集]土佐国安芸郡西分村[1][2](現高知県安芸郡芸西村[1][2]西分)で、土佐藩士・江口治六の長男として生まれる[1]。共立学舎英語学校、立志学舎を経て[1]、1877年(明治10年)1月、慶應義塾に入塾し[1]、英学、仏学、羅甸語(ラテン語)学、政治学、経済学などを学んだ[1][2][3]。
自由民権運動に加わる[1][2]。1882年(明治15年)6月、松木正守らと大阪自由党を結成した[1]。その後、『東雲新聞』、『自由』の記者として文筆に腕を振るい[2][3]、京阪神地区の民権派政談演説会に弁士として活躍した[1]。
衆議院議員総選挙の立候補資格を得るため[2]小松に改姓した[1][2]。武市安哉の辞職に伴い1893年(明治26年)5月に実施された第2回衆議院議員総選挙高知県第1区補欠選挙に出馬して同月25日に初当選[4]。その後、1894年(明治27年)3月の第3回総選挙(高知県第1区、自由党)、同年9月の第4回総選挙(高知県第1区、 自由党)でも再選され[1][5]、衆議院議員に連続3期在任した[3]。
その後、議会政治に失望して[2]1900年に北海道に渡ったが[2] 札幌で死去した[1]。
著作
[編集]- 江口三省『撰挙論』盛業館、1889年。
- 江口三省『大日本帝国憲法註解』北辰館東雲堂、1889年。
- 江口三省訳、ヘンリー・ジョージ 外著『社会論 前編』自由社、1892年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。