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紫藤寛治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

紫藤 寛治(しとう かんじ、1832年天保3年3月[1][2]) - 1897年明治30年)6月15日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員(4期)。

経歴

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吉川愿恭の第三子として肥後熊本藩合志郡、のちの原水村熊本県菊池郡原水村、菊陽村を経て現菊陽町)に生まれ、同村の紫藤善十郎の養嗣子となる[1]戊辰戦争西南戦争に従軍した[2]1873年(明治6年)居村に大原義塾を開き子弟教育に尽力する[3]。里正となったのち[2]1881年(明治14年)熊本県会議員に当選し、1883年(明治16年)同常置委員となった[3]。ほか、製糸業の改善発達に尽力した[2]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では熊本県第3区から出馬し当選[2]。4期連続当選を果たした[2]

親族

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脚注

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  1. ^ a b 篠田 1891, 348頁.
  2. ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 編 1962, 232頁.
  3. ^ a b 篠田 1891, 349頁.
  4. ^ 人事興信所 1915, し2頁.
  5. ^ 人事興信所 1928, シ8頁.
  6. ^ 人事興信所 1928, ム4頁.

参考文献

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