土倉宗明
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土倉 宗明 つちくら そうめい | |
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土倉宗明 | |
生年月日 | 1889年9月2日 |
出生地 |
富山県東礪波郡中田町 (現・富山県高岡市) |
没年月日 | 1972年6月16日(82歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治経済科 |
前職 |
著述業 立憲政友会院外団員 |
所属政党 |
立憲政友会 立憲政友会革新同盟 民主自由党 自由党 |
土倉 宗明(つちくら そうめい、1889年(明治22年)9月2日[1] - 1972年(昭和47年)6月16日[2])は、日本の政治家で立憲政友会→民主自由党→自由党所属の衆議院議員。
経歴
[編集]富山県東礪波郡中田町(現在の高岡市)出身[1]。早稲田大学政治経済科に学んだ後、著述業に従事した[1]。1913年(大正2年)第一次護憲運動に際して普選運動に取り組み[3]、翌1914年(大正3年)普選運動期成同盟会が再興されると直ちに入会[3]。その後立憲政友会院外団に入り大野伴睦とともに政友会院外団員として活動[3][4]、第二次護憲運動にも政友会院外団員の一員として大野とともに参加[3]。牛込区会議員[1][2][3]、東京市会議員[1][2][3][4]、同参事会員[1][2]を歴任した。
1930年(昭和5年)、政友会公認で第17回衆議院議員総選挙に出馬し初当選[3][4]。以降連続4回当選[3]。1938年(昭和13年)、政友会総務に就任[3]。翌1939年(昭和14年)政友会が分裂すると中島知久平総裁が率いる政友会革新同盟に参加し革新同盟の総務に就任[3]。1942年(昭和17年)の翼賛選挙では非推薦候補として立候補し落選[3]。
戦後は1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙と1953年(昭和28年)の第26回衆議院議員総選挙に当選[3]。合計で6回総選挙に当選を果たした[4]。その間民主自由党総務や自由党総務[2]、衆議院懲罰委員長を歴任した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 平凡社教育産業センター編集『現代人名情報事典』平凡社、1987年。
- 朝日新聞社編集 編『現代日本朝日人物事典』朝日新聞社、2003年。
- 日外アソシエーツ編集 編『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会 | ||
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先代 森幸太郎 |
衆議院懲罰委員長 1951年 |
次代 真鍋勝 |