上林与市郎
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上林 与市郎 かんばやし よいちろう | |
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生年月日 | 1912年1月1日 |
出生地 | 山形県東田川郡泉村 |
没年月日 | 1993年6月8日(81歳没) |
死没地 | 山形県鶴岡市 |
出身校 | 中央大学法学部 |
前職 | 泉村職員 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 | 勲二等瑞宝章、羽黒町名誉町民、正五位 |
選挙区 | 旧山形2区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1947年 - 1960年 |
上林 与市郎(かんばやし よいちろう、1912年1月1日 - 1993年6月8日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。社会民主連合顧問。
1982年勲二等瑞宝章、1983年羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)、1993年正五位。
人物
[編集]中央大学法学部卒業後、郷里に戻り、社会の民主化と新しい労農漁民運動の構築に専心。1947年、新憲法下における初の衆院総選挙旧山形2区から日本社会党公認で出馬[1]。連続6期務め、阿部昭吾が秘書として仕える。
議員在任中は、衆院決算常任委員長などを務めたほか、社会党中央執行委員を歴任。加えて全日本農民組合連合会書記長に就き、農民組合組織の統一運動に尽力。また、多くの政治家や社会運動家を育てた。後に社会民主連合顧問となる[1]。
1993年6月8日、脳梗塞のため鶴岡市内の病院で死去。81歳没[2]。
経歴
[編集]- 1912年(明治45年) - 生まれる。
- 1926年(大正15年) - 泉小学校高等科を卒業。泉村役場に勤務。
- 1941年 (昭和14年)中央大学法学部英法科卒業。
- 社団法人中央社会事業協会(現・日本社会事業大学)中央社会事業研究生修了。
- 1947年(昭和22年)4月25日 - 第23回衆議院議員総選挙(山形2区・日本社会党公認・24459票獲得)初当選。
- 1949年(昭和24年)1月23日 - 第24回衆議院議員総選挙(山形2区・日本社会党公認・26945票獲得)連続2回目当選。
- 日本社会党山形県連副会長就任。
- 日農本部政治局長就任。
- 1952年(昭和27年)10月1日 - 第25回衆議院議員総選挙(山形2区・日本社会党公認・38762票獲得)連続3回目当選。
- 1953年(昭和28年)
- 4月19日 - 第26回衆議院議員総選挙(山形2区・日本社会党公認・47142票獲得)連続4回目当選。
- 7月10日 - 第016回国会内閣委員会会議にて同会理事に当選。
- 1955年(昭和30年)2月27日 - 第27回衆議院議員総選挙(山形2区・日本社会党公認・45182票獲得)連続5回目当選。
- 1958年(昭和33年)
- 3月24日 - 全日本農民組合連合会書記長。
- 5月22日 - 第28回衆議院議員総選挙(山形2区・日本社会党公認・49461票獲得)連続6回目当選。
- 1967年(昭和42年) - 全日本農民組合連合会結成十周年記念大会にて表彰。
- 1968年(昭和43年) - 田川地方に出稼ぎ者組合を組織する。
- 1978年(昭和53年)12月5日 - 全日本農民組合連合会・第18回定期全国大会で顧問に選任。
- 1993年(平成5年)6月8日 - 死去。
著書
[編集]- 『庄内の農民とワッパ騒動』 新生社、1957年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。
- 山形放送株式会社新版山形県大百科事典発行本部事務局編 『新版山形県大百科事典』 山形放送、1993年。
- 『官報』第1184号 1993年6月28日 叙位叙勲
- 『広報つるおか』2006年10月15日号 名誉市民・交流都市(第3回)
議会 | ||
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先代 庄司一郎 |
衆議院決算委員長 1955年 - 1957年 |
次代 青野武一 |