佐藤誼
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佐藤 誼 さとう よしみ | |
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生年月日 | 1927年5月28日 |
出生地 | 山形県鶴岡市 |
没年月日 | 2021年3月2日(93歳没) |
死没地 | 山形県山形市 |
出身校 | 東北大学教育学部 |
前職 | 山形高教組委員長 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 | 勲三等旭日中綬章 |
選挙区 | 旧山形2区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1979年 - 1986年 |
佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021年3月2日)は、日本の政治家、教諭。山形県高校教職員組合執行委員長を経て、衆議院議員を3期務めた。1998年勲三等旭日中綬章受章[1]。
来歴・人物
[編集]山形県鶴岡市出身。山形師範学校、東北大学を卒業。山形県立鶴岡工業高等学校教諭、県高校教職員組合執行委員長等を歴任[2]。1971年・1974年・1977年の参院選落選を経て、1979年の第35回衆議院選挙で旧山形2区から、安宅常彦の引退を受け日本社会党公認で立候補。トップ当選した自由民主党の加藤紘一に400票弱に迫る僅差で、初当選。以後当選3回。
旧山形2区は、1967年の第31回衆議院選挙以降、定数4議席を自由民主党と野党(日本社会党、社会民主連合)とで2議席ずつ分け合ってきたが、1986年の公職選挙法の部分改正による8増7減で減員区となった。死んだふり解散により同年行なわれた第38回衆議院選挙(衆参同日選挙)で、前回並みの得票を得るも3位当選の社会民主連合の阿部昭吾に2万票弱の差をつけられ落選。日本社会党は山形2区で1947年の第23回衆議院選挙以降保持してきた議席を失った。
2021年3月2日、老衰のため、山形市内の自宅で死去[3]。93歳没。
著書
[編集]- 『太平洋戦争 私の戦争体験』佐藤 誼、2017年。
脚注
[編集]- ^ 「春の叙勲 県内から56人」『朝日新聞』山形版 1998年4月29日
- ^ “国政に警鐘、悲惨な戦争伝える 元衆院議員・佐藤さんが体験本出版”. 山形新聞. (2017年7月27日) 2017年7月29日閲覧。
- ^ “元衆院議員の佐藤誼氏死去”. 時事通信. (2021年3月3日) 2021年3月3日閲覧。