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西川甚五郎 (13代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西川甚五郎

西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1902年10月6日[1] - 1967年5月16日[2])は、日本実業家政治家西川産業会長、参議院議員(4期)、北海道開発庁長官(第18代)。東京日本橋・西川ふとん店13代。貴族院議員や八幡銀行頭取を務めた十二代西川甚五郎の子。

経歴

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現在の滋賀県近江八幡市出身[3]滋賀県立八幡商業学校を経て[4]1924年早稲田大学専門部商科を卒業[1][2][3]アメリカに留学し、コーネル大学ニューヨーク大学で学ぶ[2]

家業を継ぎ、日本蚊帳統制組合理事長、西川産業社長、近江蚊帳製造社長、滋賀ビル・日本橋西川ビル社長、滋賀銀行取締役などを歴任[2][3]

戦時中は日中戦争太平洋戦争に召集され陸軍主計大尉[4]

1947年8月、猪飼清六の辞職に伴う滋賀地方区第1回参議院議員補欠選挙日本自由党から出馬し当選(任期3年)。第2回第4回第6回参議院議員通常選挙で再選され連続4期務め、1967年5月16日現職のまま死去、64歳。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈(勲六等からの昇叙)、正七位から従三位に叙される[5]

参議院議員としては、参議院決算委員長、自由党政務調査会副会長、同党滋賀県連支部長、自由民主党総務などを歴任。また、第3次吉田第1次改造内閣大蔵政務次官第1次池田内閣 北海道開発庁長官を務めた[2][3]

脚注

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  1. ^ a b 『大衆人事録 第19版 西日本篇』391頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』377頁。
  3. ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』463頁。
  4. ^ a b 55回国会 参議院 本会議 第8号 昭和42年5月17日
  5. ^ 『官報』第12124号9-10頁 昭和42年5月18日号

参考文献

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  • 『大衆人事録 第19版 西日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
  • 衆議院・参議院編 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』 1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』 日外アソシエーツ、2003年。

関連項目

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外部リンク

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公職
先代
村上勇
日本の旗 北海道開発庁長官
第18代:1960年
次代
小沢佐重喜
議会
先代
小西英雄
日本の旗 参議院決算委員長
1959年
次代
上原正吉