コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小山長規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小山 長規
こやま おさのり
生年月日 1905年6月10日
出生地 宮崎県西諸県郡小林村
(現・小林市
没年月日 (1988-01-31) 1988年1月31日(82歳没)
出身校 東京帝国大学法学部卒業
旧制第三高等学校卒業
旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校卒業
前職 三菱銀行従業員(従業員組合委員長)
所属政党国民協同党→)
民主自由党→)
自由党→)
自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章
親族 兄・森由己雄

内閣 第1次田中角栄内閣
在任期間 1972年7月7日 - 1972年12月22日

内閣 第3次池田改造内閣
第1次佐藤内閣
在任期間 1964年7月18日 - 1965年6月3日

選挙区 旧宮崎2区
当選回数 12回
在任期間 1949年1月24日 - 1953年3月14日
1955年2月28日 - 1976年12月9日
1979年10月8日 - 1986年6月2日

その他の職歴
第6・12代 自由民主党税制調査会長
総裁:池田勇人
1963年8月 - 1964年8月)
総裁:佐藤栄作
1971年7月 - 1972年7月)
テンプレートを表示

小山 長規(こやま おさのり、1905年明治38年〉6月10日 - 1988年昭和63年〉1月31日[1][2]。は、日本の政治家衆議院議員(12期)、建設大臣(第23-24代)、国務大臣環境庁長官(第3代)を歴任。

経歴

[編集]

宮崎県西諸県郡小林村(後の西諸県郡小林町、小林市)に[1][3]、森長興(西諸県貯蓄銀行頭取、宮崎県会議員等歴任)の息子(資料により二男[4]や四男[5][6])として生まれる。1919年に細野小学校を卒業[7]。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を1923年に、第三高等学校1926年に卒業[7]。第三高等学校と東京帝国大学ではボート部に所属[7]。1928年高等文官試験司法科に合格[5][7]村上朝一最高裁判所長官は、ともに高等文官試験の勉強をした学生時代の親友[7]1929年東京帝国大学法学部英法科を卒業し[2]、小山家の養子となって三菱銀行へ入行[4]。三菱銀行では、1947年[7]従業員組合初代委員長就任[2][7][8]1949年に三菱銀行を退職[6]

1947年の第23回衆議院議員総選挙に、公職追放となった実兄森由己雄国民協同党)の後継として宮崎県第2区から立候補したが落選[3](僅差で次点)。1949年の第24回衆議院議員総選挙において、民主自由党公認で[8]宮崎県第2区にて初当選し[3]、以降計12回当選[1](第24回、第25回第27回第28回第29回第30回第31回第32回第33回第35回第36回第37回[2])。その間、民主自由党から自由党を経て自由民主党に所属[2]。また、弁護士[2][3][9]第一東京弁護士会所属[9])、館林ガス社長[2][3][9]、東洋軽金属工業社長[2][3][8]、同会長[9]となる。

1957年7月から[5]防衛政務次官(第1次岸改造内閣[2]1960年7月から衆議院農林水産委員長[5]1964年(昭和39年)9月に第3次池田改造内閣建設大臣として初入閣し、同年11月の第1次佐藤内閣でも再任された[2][5][8][9]1972年第1次田中角栄内閣国務大臣環境庁長官に就任[7][8][9]1974年[7]裁判官弾劾裁判所裁判長に就任[1][7][8]1980年から[7]衆議院予算委員長を務めた[1][2][7]。その他自由民主党内では、税制調査会長、代議士会会長、顧問などを歴任[2]宏池会の最長老で、1986年7月に政界から引退し、1988年1月31日死去(82歳没)[1]。国会議員在任中の1976年4月に勲一等旭日大綬章を受けた[10]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 「小山長規」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年 - コトバンク版、2024年11月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 衆議院 参議院 編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月、250頁
  3. ^ a b c d e f 石神啓吾「小山 長規」 - 宮崎日日新聞社宮崎大百科事典刊行委員会 編『宮崎県大百科事典』宮崎日日新聞社、1983年10月1日、377-378頁。
  4. ^ a b 小林市史編纂委員会 編『小林市史 第1巻』国書刊行会、1987年、381頁。
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年、111頁。
  6. ^ a b 『人事興信録 第17版 上』人事興信所、1953年、こ47頁。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 小松洋一 編『青少年への座右銘 現代・宮崎の百人』育英出版、1982年3月12日、98-99頁。
  8. ^ a b c d e f 『現代人名情報事典』平凡社、1987年8月、409頁。
  9. ^ a b c d e f 『現代人物事典 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年6月、1850頁。
  10. ^ 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月~昭和53年4月 上』日本叙勲者協会、1978年11月、2033頁。
議会
先代
田村元
日本の旗 衆議院予算委員長
1980年 - 1981年
次代
栗原祐幸
先代
吉川久衛
日本の旗 衆議院農林水産委員長
1960年
次代
坂田英一
公職
先代
大石武一
日本の旗 環境庁長官
第3代:1972年
次代
三木武夫
先代
河野一郎
日本の旗 建設大臣
第23-24代:1964年 - 1965年
次代
瀬戸山三男
党職
先代
坊秀男
自由民主党税制調査会長
第6代 : 1963年 - 1964年
次代
坊秀男