小枝一雄
小枝 一雄(こえだ かずお、1901年(明治34年)7月12日[1] - 1975年(昭和50年)6月22日[1][2][3][4])は、昭和期の政治家。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)、岡山県久米郡加美町長。農林畑一筋に活動し「地下足袋の小枝」と呼ばれた[1]。
経歴
[編集]岡山県[2][3][4]久米郡打穴村[1](中央町を経て現美咲町)の農家に生まれる[1]。打穴尋常高等小学校を卒業[1]。その後、東洋大学経済学部で学んだ[3][4][注 1]。農業のかたわら中国民報(現山陽新聞)通信員となる[1]。打穴村役場書記に就任し、同助役を務めた[1]。1936年(昭和11年)岡山県会議員補欠選挙で当選し[1]、3期在任した[3]。その後、加美町長を務めた[3][4]。
国民協同党岡山県支部長となり[1]、1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で旧岡山1区から出馬して初当選[1][2][4]。第24回、第25回総選挙ではいずれも次点で落選[5]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙で再選され[5]、以後、第30回総選挙まで連続して再選され[6]、1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙では落選した[7]。1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で岡山県地方区から出馬して当選[2][3][8]。衆議院議員に通算6期、参議院議員に1期在任した[1][2][3][4]。この間、衆議院農林水産委員長、第2次岸改造内閣農林政務次官、国民協同党中央委員、同社会部長、日本民主党副幹事長、同政調会中小企業部長、自由民主党政調農林部長、同総務会副会長、同代議士会副会長、同全国組織委員会副委員長、同新農政基本問題調査会副会長、同岡山県連会長などを務めた[1][2][3][4]。
その他、岡山県中小企業連盟会長、同土地改良協会会長、同指導農業連運営委員長、全国土地改良事業団体連合会副会長、全国山村振興連盟副会長、全国和牛協会会長、全国農業会議所顧問、全国肉用牛協会会長などを務めた[2][3][4]。
1971年(昭和46年)秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章[9]。
1975年(昭和50年)6月22日死去、73歳。死没日をもって従三位に叙され、銀杯一組を賜った[10]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『新訂 政治家人名事典』239頁では卒業。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『岡山県歴史人物事典』420頁。
- ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典』239頁。
- ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』303-304頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』238頁。
- ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』305頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』306頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』307頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』501頁。
- ^ 『官報』第13463号12頁 昭和46年11月5日号
- ^ 『官報』第14544号15-16頁 昭和50年6月27日号
- ^ 『現代物故者事典 2012~2014』224頁。
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 『現代物故者事典 2012~2014』日外アソシエーツ株式会社、2015年。
議会 | ||
---|---|---|
先代 村松久義 |
衆議院農林水産委員長 | 次代 中村寅太 |