渋谷直蔵
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渋谷 直蔵(しぶや なおぞう、旧字体:澁谷 直藏、1916年(大正5年)8月20日 - 1985年(昭和60年)12月16日)は、日本の政治家、労働官僚。
来歴・人物
[編集]旧制石川中学校、旧制第二高等学校(文科乙類)[1]、1940年東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業後、内務省入省。東京府内務部地方課属[2][3]。それから2ヶ月後に東京府議会副議長の長女と結婚[2]。戦後、労働省に移り[4]、大臣官房長、労働基準局長に。1960年(昭和35年)の衆議院議員総選挙に旧福島2区より出馬し、初当選。以降連続当選9回。
自由民主党では三木→河本派[4]に所属し、建設政務次官、衆院文教委員長、農林水産委員長を経て、1978年大平内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長兼北海道開発庁長官で初入閣。1985年10月病気で引退を表明したが[5]、1985年(昭和60年)12月16日に脳腫瘍のため69歳で死去した。選挙区は穂積良行に引き継がれた。
1975年(昭和50年)秋に公労協がスト権ストの実施を図った際、スト権付与派であった[4]。
脚注
[編集]公職 | ||
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先代 加藤武徳 |
北海道開発庁長官 第41代:1978年 – 1979年 |
次代 後藤田正晴 |
先代 加藤武徳 |
自治大臣 第26代:1978年 – 1979年 |
次代 後藤田正晴 |
先代 加藤武徳 |
国家公安委員長 第36代:1978年 – 1979年 |
次代 後藤田正晴 |
議会 | ||
先代 仮谷忠男 |
衆議院農林水産委員長 1974年 - 1976年 |
次代 湊徹郎 |
先代 丹羽兵助 |
衆議院文教委員長 1972年 |
次代 田中正巳 |