コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山下栄二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山下栄二
やました えいじ
生年月日 1901年10月14日
出生地 日本の旗 日本 鹿児島県姶良郡西襲山村
(現・鹿児島県霧島市
没年月日 (1990-01-09) 1990年1月9日(88歳没)
出身校 関西商工学校卒業
(現・関西大倉高等学校
前職 久保田鉄工所社員
所属政党社会民衆党→)
日本社会党→)
右派社会党→)
(日本社会党→)
民主社会党/民社党

選挙区 (兵庫県第1区→)
旧兵庫2区
当選回数 8回
在任期間 1946年 - 1948年12月23日
1952年10月1日 - 1960年10月24日
1963年11月21日 - 1969年12月2日

当選回数 2回

尼崎市会議員
当選回数 3回
在任期間 1928年 - ?
テンプレートを表示

山下 栄二(やました えいじ、1901年明治34年)10月14日[1] - 1990年平成2年)1月9日[2])は、日本の労働運動家政治家衆議院議員

経歴

[編集]

鹿児島県姶良郡西襲山村(現・霧島市)で生まれる[1][3]。肥料問屋に奉公後、1920年大正9年)、久保田鉄工所尼崎工場に鋳物臨時工として入り、同鉄工所に1956年昭和31年)の定年まで務め、その後、同顧問[2]、同社友となる[1][3]

1921年(大正10年)の争議を機に労働運動に加わる[1][3]1923年(大正12年)に関西商工学校(現・関西大倉高等学校)を卒業した[4]1928年(昭和3年)、三・一五事件で検挙されたが不起訴となる[1][3]。同年、社会民衆党所属で尼崎市会議員に当選し、その後、兵庫県会議員を務めた[1][3][注釈 1]。また、日本労働総同盟尼崎連合会長として労働運動を行う[1][2][3]

戦後、日本社会党に入党[1][3]1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区から出馬し当選[2]。その後、兵庫県第2区より第23回第25回から第28回まで、第30回第31回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算8期務めた[2]1960年(昭和35年)、民主社会党に加わった[1][3]。この間、衆議院文教委員長、同初代交通安全対策特別委員長、日本社会党兵庫県支部連合会長、同労働政策委員長、同国会対策副委員長、同中央執行委員、同選挙対策副委員長、民主社会党選挙制度対策委員長、同代議士会会長、同兵庫県連顧問などを歴任した[2]

出典

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 尼崎市議は3期、兵庫県議は2期務めた[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 『市民・社会運動人名事典』462頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』681頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『20世紀日本人名事典 そ-わ』2635頁。
  4. ^ 議会制度百年史 衆議院議員名鑑 372コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 衆議院要覧 昭和22年12月現在 乙 117コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

[編集]
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
  • 『20世紀日本人名事典 そ-わ』日外アソシエーツ、2004年。
議会
先代
長谷川保
日本の旗 衆議院文教委員長
1957年 - 1958年
次代
坂田道太
先代
1948年
日本の旗 衆議院労働委員長
新設
次代
山下栄二(代理)