藤木洋子
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藤木洋子 ふじき ようこ | |
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生年月日 | 1933年5月18日(91歳) |
出生地 | 日本 兵庫県宝塚市 |
出身校 | 関西学院大学文学部卒業 |
前職 | 女優 |
所属政党 | 日本共産党 |
選挙区 |
(旧兵庫2区→) 比例近畿ブロック |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1983年12月18日 - 1986年6月2日 1996年10月20日 - 2003年10月10日 |
藤木 洋子(ふじき ようこ、1933年5月18日- )は日本の政治家、元女優。日本共産党元衆議院議員(通算3期)。
経歴
[編集]- 1933年 兵庫県宝塚市出身。
- 1956年3月 関西学院大学文学部卒業。
- 劇団関西芸術座研究生、女優。
- 1977年7月 第11回参議院議員通常選挙に日本共産党公認で兵庫県選挙区(定数3)から立候補し落選(8人中5位、得票262226)。
- 1983年12月 第37回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で旧兵庫県第2区から立候補し初当選(10人中5位、得票81778)。
- 1986年7月 第38回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で旧兵庫県第2区から立候補し次点で落選(8人中6位、得票93339)。
- 1990年2月 第39回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で旧兵庫県第2区から立候補し次点で落選(10人中6位、得票85589)
- 1993年7月 第40回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で旧兵庫県第2区から立候補し最下位で落選(7人中7位、得票84430)。
- 1996年10月 第41回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で兵庫県第8区から立候補し落選(7人中3位、得票41166)するも、比例近畿ブロックに比例名簿順位第7位で重複立候補し復活当選(惜敗率58.1%、近畿ブロックでの共産党獲得議席は6議席だったが、名簿順位第1位の寺前巌が小選挙区京都府第3区で当選したため名簿から除かれ、7位の藤木まで復活当選した)。
- 2000年6月 第42回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で兵庫県第8区から立候補し落選(5人中3位、得票42902)するも、比例近畿ブロックに比例名簿順位第4位で重複立候補し復活当選(惜敗率56.91%、近畿ブロックでの共産党獲得議席は5議席)。
- 2003年11月 第43回衆議院議員総選挙に立候補せず政界引退。
役職
[編集]- 党兵庫県委員。
- 党兵庫県婦人児童部長。
- 党政策委員。
政策
[編集]- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。2000年には、藤木ら超党派女性国会議員50名が、夫婦別姓選択制を求めて当時の森総理に申し入れを行った。申し入れでは、「とくに若い世代では、夫婦別姓選択制を望む声が高まっています。政府には、世論を喚起するなど、夫婦別姓選択制を導入するための努力を望む」としている[1]。
エピソード
[編集]- 小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の衆院選では薄氷を踏む当選で、初当選以来10年ぶりに国政復帰し話題となる。