砂田圭佑
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砂田 圭佑(すなだ けいすけ、1933年11月21日 - 2015年9月6日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(3期)を務めた。
砂田 圭佑 すなだ けいすけ | |
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砂田圭佑 | |
生年月日 | 1933年11月21日 |
出生地 | 兵庫県神戸市 |
没年月日 | 2015年9月6日(81歳没) |
出身校 | 中央大学経済学部卒業 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 旭日重光章 |
親族 |
伯父・砂田重政(元衆議院議員、元防衛庁長官) 従兄・砂田重民(元衆議院議員、元文部大臣) |
選挙区 |
(比例近畿ブロック→) 兵庫1区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1996年10月20日 - 2005年8月8日 |
来歴
[編集]兵庫県神戸市出身。おじの砂田重政、従兄の砂田重民も衆議院議員を務めている。
中央大学経済学部卒業後、議員秘書などを歴任し、第40回総選挙に砂田重民の後継候補として自民党公認で旧兵庫1区より出馬したが落選。次の第41回総選挙では兵庫1区で敗れたものの、比例近畿ブロックで自民党名簿1位で復活し初当選。
第42回総選挙においても同様に小選挙区では新進党→民主党の石井一に敗れての比例復活当選となる。第43回総選挙において、石井を破り小選挙区から初めて当選する。
2004年10月以降、個人や業者から貸金や約束手形金の支払いを求める訴訟を神戸地裁に起こされたり議員歳費を差し押さえられる[2]など借入金問題が表面化したため地元から引退勧告が出るなどしたが、第44回総選挙には無所属で出馬し、落選した。さらに無所属出馬の咎で自民党から離党勧告がだされ、離党した[3]。
2015年9月6日、心室細動のため死去[4][5]。81歳没。
政歴
[編集]- 1993年7月18日 第40回総選挙に旧兵庫1区より、後継者が二人出馬するという事態になり、自身が真の後継者であるとの正当性を主張し自民党公認で出馬するも次点で落選した。
- 1996年10月20日 第41回総選挙に兵庫1区より出馬したが次点におわるも比例近畿ブロックから自民党名簿順位1位で復活し当選した。
- 2000年6月25日 第42回総選挙に兵庫1区より出馬したが次点におわるも比例近畿ブロックから自民党名簿順位7位で復活し当選した。
- 2003年11月9日 第43回総選挙に兵庫1区より出馬し当選した。
- 2005年9月11日 第44回総選挙において、自民党公認を得られずに無所属で出馬したが、自民党公認を得た盛山正仁に敗れ落選した。
務めた役職
[編集]- 環境大臣政務官
- 財務大臣政務官 (2回)
- 自民党政調副会長
- 自民党国対副委員長
- 自民党兵庫県連会長
その他
[編集]- 派閥としては旧河本派→高村派に所属していた。
- アフリカ諸国議員連盟の活動に積極的であった。
- 外国人参政権ならびに人権擁護法案には慎重姿勢をとっていた。また、北朝鮮経済制裁には一貫して積極的であった。郵政民営化では綿貫民輔に接近したものの賛成の立場をとった。
- 一方選択的夫婦別姓制度には賛同していた[6]。
- ミサイル防衛システムの導入に一貫して積極的な姿勢をとってきた。
- 財務大臣政務官在任中の平成13年に住宅ローン減税制度創設に尽力した。
脚注
[編集]- ^ “元衆院議員の砂田圭佑さん死去”. 朝日新聞デジタル. (2015年10月19日) 2020年2月15日閲覧。
- ^ “砂田衆院議員、歳費差し押さえ 借金1億9千万円未返済”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2005年6月3日) 2009年7月6日閲覧。
- ^ 第74回 自由民主党大会 党情報告
- ^ 訃報:砂田圭佑さん81歳=元衆院議員 毎日新聞 2015年10月17日閲覧
- ^ 砂田圭佑元衆院議員が死去 産経ニュース 2015年10月19日
- ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
公職 | ||
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先代 望月義夫 |
環境大臣政務官 2003年 -2004年 |
次代 能勢和子 |
先代 (役職創設) |
財務大臣政務官 大野松茂 吉田幸弘と共同 2001年 2002年 |
次代 中野清 林田彪 |