吉田吉太郎
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吉田 吉太郎(よしだ よしたろう / きちたろう[注釈 1]、1900年(明治33年)9月25日[1] - 1968年(昭和43年)1月22日[1][2])は、大正末から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]大阪府出身[1][2]。1924年(大正13年)関西大学専門部法律科を卒業した[1][2]。
大阪市役所勤務を経て、映画興業、不動産業を経営し、摂津怛産取締役社長、新大阪土地開発取締役社長、阪神土地興業取締役社長を務めた[1][2]。
政界では、尼崎市会議員(1940年-1947年)、兵庫県会議員(1947年-1948年)を務めた[1]。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区から日本自由党所属で立候補して落選[3]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に兵庫県第2区から民主自由党公認で出馬して当選し[4]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。この間、尼崎市内電話番号の大阪06局への編入などに尽力した[1]。その後、第28回総選挙まで連続4回立候補したが、いずれも落選した[5]。また、1954年(昭和29年)の尼崎市長選挙に立候補したが薄井一哉に敗れた[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本来の読みは「きちたろう」で政治家では「よしたろう」と称した。『尼崎地域史事典』419頁。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 尼崎市立地域研究史料館『尼崎地域史事典』尼崎市、1996年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。