コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

服部安司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
服部 安司
はっとり やすし
生年月日 1915年7月21日
出生地 日本の旗 奈良県
没年月日 (2011-03-09) 2011年3月9日(95歳没)
死没地 日本の旗 奈良県北葛城郡上牧町
出身校 中央商科短期大学商学科卒業
前職 衆議院議員
参議院議員
所属政党 自由民主党宮澤派
称号 勲一等瑞宝章
従三位
子女 息子・服部三男雄(元参議院議員)

日本の旗 第38代 郵政大臣
内閣 福田赳夫改造内閣
在任期間 1977年11月28日 - 1978年12月7日

日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)
内閣 第2次池田第1次改造内閣
在任期間 1961年7月25日 - 1962年7月

選挙区 奈良県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1985年2月4日 - 1992年7月7日

選挙区 旧奈良全県区
当選回数 7回
在任期間 1958年5月23日 - 1966年12月27日
1969年12月28日 - 1980年5月19日
テンプレートを表示

服部 安司(はっとり やすし[1]1915年大正4年〉7月21日[2] - 2011年平成23年〉3月9日[3][4])は、日本政治家自由民主党衆議院議員(7期)・参議院議員(2期)。位階従三位

来歴

[編集]

奈良県出身。中央商科短期大学商学科卒業[2]1945年に上牧村長、1947年奈良県議会議員に当選[1]1953年に奈良県議会議長に就任[1]

1958年の衆議院議員総選挙に旧奈良全県区から自民党公認で出馬し初当選[3]、以後衆議院当選7回を数えた(当選同期に竹下登安倍晋太郎金丸信斎藤邦吉倉成正など)。党内では宏池会池田勇人前尾繁三郎大平正芳鈴木善幸宮澤喜一派)に所属し、第2次池田内閣第1次改造内閣内閣官房副長官などを歴任後、1977年福田改造内閣郵政大臣として初入閣。

しかし、1979年に発覚したKDD事件に絡み、郵政大臣在任当時の収賄疑惑が浮上し、1980年に行われた総選挙に出馬を断念せざるを得ない状況に追い込まれた。次の1983年の総選挙には出馬したが事件の影響が祟ったのか落選。政治生命も終わりかと思われていたが、1985年の参議院議員補欠選挙に出馬し当選。翌年の参院選も再選を果たし、1992年に引退するまで2期7年務めた。1985年、勲一等瑞宝章受章。

2011年3月9日、老衰のため奈良県北葛城郡上牧町の病院で死去[3]。95歳没[3][4]。逝去日に遡って従三位が没後追贈された[5]

人物

[編集]

趣味は乗馬ゴルフ[2]。住所は奈良県北葛城郡上牧町上牧[2]

家族

[編集]
服部家

賞詞

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『奈良県年鑑 1975』著名人628頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月20日閲覧。
  2. ^ a b c d 『政治家人名事典』418頁。
  3. ^ a b c d “服部安司・元郵政相が死去”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2011年3月10日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1003S_Q1A310C1000000/ 2021年1月21日閲覧。 
  4. ^ a b 服部安司氏死去 元郵政相 - 47NEWS(よんななニュース)
  5. ^ 官報 第5533号 平成23年4月11日付告示

参考文献

[編集]
  • 『奈良県年鑑 1975』大和タイムス社、1974年。
  • 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
公職
先代
小宮山重四郎
日本の旗 郵政大臣
第38代 :1977年 - 1978年
次代
白浜仁吉
先代
保岡武久
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)
1961年 - 1962年
次代
八田貞義
議会
先代
天野光晴
日本の旗 衆議院建設委員長
1972年 - 1973年
次代
木村武雄