松原脩雄
松原 脩雄 | |
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生年月日 | 1945年4月23日(79歳) |
出生地 | 香川県 |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 | 衆議院議員 |
所属政党 |
(日本社会党→) 無所属 |
公式サイト | 飛鳥京法律事務所(奈良 弁護士) |
選挙区 | 奈良県全県区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1990年2月19日 - 1993年6月18日 |
松原 脩雄(まつばら しゅうお、1945年4月23日 - )は、日本の政治家。弁護士(奈良弁護士会所属 登録番号35054)。元衆議院議員(1期)。
来歴
[編集]疎開先の香川県に生まれる[1]。1964年(昭和39年)、大阪府立大手前高等学校卒業後、現役で、東京大学法学部入学[1][2]。全共闘運動に参加し[1]、東大全共闘のメンバーとして[2]、安田講堂にも立てこもった。安田講堂攻防戦で凶器準備集合罪などで逮捕、起訴された[3]。1971年(昭和46年)、大学卒業。同年、司法試験に合格。安田講堂攻防戦の判決が、確定するまで弁護士登録ができず、国会議員秘書などを務める[1]。
司法修習33期を経て[4]、1981年(昭和56年)、弁護士登録。新人でありながら同期の弁護士と奈良総合法律事務所を設立[1]。
土井たか子社会党委員長に請われ[3]、川本敏美の後継として、1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に奈良全県区(定数5)で、日本社会党から出馬し、初当選(1位)。
当選後、社会党の一年生議員を中心に「ニューウェーブの会」を設立。伊東秀子(元日本社会党衆議院議員)と仙谷由人(元民主党衆議院議員・元内閣官房長官)を共同代表に据え、筒井信隆(元民主党衆議院議員、元農林水産副大臣)と事務局長を務める。参加者は、秋葉忠利(元広島市長)、池田元久(元民主党衆議院議員、元経済産業副大臣)、 岡崎トミ子(元民主党参議院議員、元国家公安委員会委員長)、鉢呂吉雄(立憲民主党参議院議員、元経済産業大臣)、細川律夫(元民主党衆議院議員、元厚生労働大臣)、松本龍(元民主党衆議院議員、元内閣府特命担当大臣(防災担当))など[2]。
1992年(平成4年)、江田五月が設立した政策研究会「シリウス」に参加[5]。1993年(平成5年)7月、第40回衆議院議員総選挙で、落選(8人中7位)。
1993年9月、事務所を独立し[6]、松原脩雄法律事務所を設立[1]。1994年(平成6年)6月29日、村山内閣成立の前日に社会党奈良県本部に離党届を提出[7]。同年12月10日、新進党の結成大会に参加。しかし、新進党に合流した元新生党の前田武志・元公明党の森本晃司がいたため、入党を拒まれる。1995年(平成7年)、奈良県知事選挙に無所属で、出馬するが、落選[8]。
1996年(平成8年)9月、スキルス性胃がんが見つかり、半分を切除した。2001年(平成13年)10月、突然、原因不明の高血圧症を発症し、錯乱状態に陥り入院。回復するが、極度のうつ病にかかり、同年11月、病気療養のため、弁護士活動休止[9]。
2007年(平成19年)、弁護士活動を再開し、飛鳥京法律事務所を設立[1]。2022年(令和4年)5月より奈良総合法律事務所所属となる。
その他
[編集]- 大学の同期(入学者)には、仙谷由人、谷垣禎一(元法務大臣、前自由民主党総裁)。
- 司法修習同期に、簗瀬進(元民主党参議院議員)、北側一雄(公明党衆議院議員)。
- 父親は、旧制小学校出で、「学歴のないやつは損や」と脱サラして運送会社を起業するも、倒産[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 松原脩雄 プロフィール
- ^ a b c d 図書新聞 2008年6月28日号 新連載 第二回「政権交代へのオデッセイ」
- ^ a b 産経新聞 2008年6月27日「さらば革命的世代 第1部 隣の全共闘 ⑧」― 「村」の弁護士の転向論 ―
- ^ ひまわりサーチ 弁護士詳細情報 | 松原 脩雄
- ^ 政策研究会「シリウス」発会趣意書
- ^ 沿革
- ^ 図書新聞 2008年7月19日号 新連載 第五回「政権交代へのオデッセイ」
- ^ 図書新聞 2008年7月26日号 新連載 第六回「政権交代へのオデッセイ」
- ^ 図書新聞 2008年8月2日号 新連載 第七回「政権交代へのオデッセイ」