牧野隆守
牧野 隆守 まきの たかもり | |
---|---|
生年月日 | 1926年1月14日 |
出生地 | 日本 福井県坂井郡丸岡町 |
没年月日 | 2008年1月11日(81歳没) |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
前職 |
大阪通産局局長 衆議院議員 |
所属政党 | 自由民主党(村上派→江藤・亀井派) |
称号 |
従三位 旭日大綬章 法学士(東京大学・1949年) |
配偶者 | 牧野季子 |
子女 | 牧野陽子(長女) |
親族 | 牧野治郎(娘婿) |
第66-67代 労働大臣 | |
内閣 |
小渕第2次改造内閣 第1次森内閣 |
在任期間 | 1999年10月5日 - 2000年7月4日 |
内閣官房副長官(政務担当) | |
内閣 | 宇野内閣 |
在任期間 | 1989年6月3日 - 1989年8月10日 |
選挙区 |
(福井県全県区→) 福井2区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1979年10月7日 - 1983年11月28日 1986年7月6日 - 1993年6月18日 1996年10月20日 - 2003年10月10日 |
牧野 隆守(まきの たかもり、1926年〈大正15年〉1月14日 - 2008年〈平成20年〉1月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。
衆議院議員(6期)、政務担当官房副長官(宇野内閣)、労働大臣(第2次小渕改造内閣・第1次森内閣)を歴任。
来歴・人物
[編集]福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)出身。福井中学などを経て東京大学法学部入学。東大在学中に高等文官試験司法科(現在の司法試験)合格。卒業後、1949年に旧商工省(のちの通産省)に入省。同期には藤原一郎(通産事務次官)、平松守彦 (大分県知事)、大永勇作(中小企業信用保険公庫総裁)、井川博(経済企画事務次官)、織田季明(官房審議官)、小泉孝夫(通産省工業検査所所長)などがいた。
ジェトロニューヨーク事務所、通商局通商政策課長補佐、外務省在西ドイツ日本国大使館一等書記官、貿易局輸出課長、中小企業庁総務課長などを経て、1974年8月に大阪通産局長で退官後、1979年の第35回衆議院議員総選挙で初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。所属派閥は中曽根→渡辺派を経て志帥会(江藤・亀井派)旗揚げに参加。戦跡は6勝3敗(中選挙区時代は福井県全県区、小選挙区制導入で福井2区。
宇野内閣で内閣官房副長官、第2次小渕改造内閣・第1次森内閣で労働大臣を歴任。その後自民党行政改革推進本部顧問を務めるが、かねてからの体調不良のため、2003年に政界から勇退した。座右の銘は「随処在主」与えられたポスト、現在ある立場でベストを尽くすことの意。
2008年1月11日、心不全のため死去。81歳没。叙従三位。
家族・親族
[編集]参考文献
[編集]- 『全国官公界名録』同盟通信社 1991年
脚注
[編集]- ^ “皇居で大綬章の親授式/赤松元文相ら15人”. 四国新聞社 (2003年11月5日). 2023年4月27日閲覧。
公職 | ||
---|---|---|
先代 甘利明 |
労働大臣 第66・67代:1999年 - 2000年 |
次代 吉川芳男 |
先代 小沢一郎 |
内閣官房副長官 (政務担当) 1989年 |
次代 志賀節 |
議会 | ||
先代 桜井新 |
衆議院内閣委員長 1993年 |
次代 左藤恵 |
先代 浜田卓二郎 |
衆議院厚生委員長 1991年 - 1993年 |
次代 浦野烋興 |
先代 柿澤弘治 |
衆議院外務委員長 1991年 |
次代 麻生太郎 |
官職 | ||
先代 仲矢鍜 |
通商産業省大阪通商産業局長 1974年 |
次代 西山敬次郎 |