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草葉隆圓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
草葉隆圓
くさばりゅうえん
厚生大臣就任当時
生年月日 1895年3月13日
出生地 福岡県
没年月日 (1966-09-20) 1966年9月20日(71歳没)
出身校 大谷大学
前職 僧侶
所属政党自由党→)
自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章

日本の旗 第24代厚生大臣
内閣 第5次吉田内閣
在任期間 1954年1月9日 - 1954年12月9日

選挙区 愛知地方区
当選回数 4
在任期間 1947年 - 1966年9月20日
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草葉 隆圓(くさば りゅうえん、1895年明治28年)3月13日 - 1966年昭和41年)9月20日)は、日本社会福祉事業家、政治家僧侶参議院議員(4期)、厚生大臣(第24代)。雅号・隆月。

経歴

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福岡県出身。1920年大正9年)、大谷大学を卒業し欧米に留学。1921年(大正10年)から社会福祉事業に従事し、愛知県遺友会会長となる。

1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙愛知地方区から出馬し当選(任期3年)。以後、第2回第4回第6回参議院議員通常選挙で再選され、連続4回当選を果たした。

参議院議員としては、参議院在外同胞引揚問題に関する特別委員長、同議院運営委員長、同外務委員長、同日米安全保障条約等特別委員長を務める。その他、自由党総務、同党国会対策委員長、参院自由民主党政策審議会長、臨時恩給等審議会委員、売春対策審議会委員、皇居造営審議会委員などを歴任。

また、1950年(昭和25年)7月、第3次吉田内閣外務政務次官に任命され、単独講和に向けての準備に従事し、サンフランシスコ講和会議全権顧問を務めた。1954年(昭和29年)1月、第5次吉田内閣の厚生大臣に就任。

1965年(昭和40年)春の叙勲で勲一等瑞宝章受章(勲五等からの昇叙)[1][2]

1966年(昭和41年)9月20日、現職のまま死去、71歳。死没日をもって従五位から従三位に叙され、銀杯一組を賜った[3]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 第55回国会 参議院 本会議 第2号 昭和42年2月17日
  2. ^ 『官報』第11513号14頁 昭和40年4月30日号
  3. ^ 『官報』第11936号12-13頁 昭和41年9月26日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。

関連項目

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公職
先代
山縣勝見
日本の旗 厚生大臣
第24代:1954年
次代
鶴見祐輔
議会
先代
鹿島守之助
日本の旗 参議院外務委員長
1959年 - 1960年
次代
木内四郎
先代
寺尾豊
日本の旗 参議院議院運営委員長
1953年 - 1954年
次代
寺尾豊
先代
中平常太郎
日本の旗 参議院在外同胞引揚問題に関する特別委員長 次代
紅露みつ