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吉川芳男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉川 芳男
よしかわ よしお
内閣広報室より公表された肖像
2000年 撮影)
生年月日 (1931-10-25) 1931年10月25日
出生地 日本の旗 日本 新潟県
没年月日 (2018-04-06) 2018年4月6日(86歳没)
死没地 日本の旗 日本 新潟県新潟市
出身校 早稲田大学第一政治経済学部卒業
前職 新潟県議会議員
所属政党 自由民主党田中派→二階堂G→加藤派堀内派
称号 従三位
勲一等瑞宝章
配偶者 吉川範子
子女 3人(2男1女)

日本の旗 第68代 労働大臣
内閣 第2次森内閣
在任期間 2000年7月4日 - 2000年12月5日

選挙区 新潟県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1983年7月10日 - 2001年7月22日

選挙区 新潟市選挙区
当選回数 5回
在任期間 1963年 - 1983年
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吉川 芳男(よしかわ よしお、1931年昭和6年〉10月25日 - 2018年平成30年〉4月6日[1])は、日本政治家。元自由民主党参議院議員(3期)。

来歴・人物

[編集]

新潟県出身。早稲田大学第一政治経済学部卒業。新潟県議会議員を5期務めた後、1983年の参議院議員選挙に出馬し初当選。

自民党内では田中派に所属。1987年7月に竹下登らが経世会を結成した際は残留し、二階堂進らの二階堂グループに属した[2]。1990年の衆院選で二階堂グループは解散状態に追い込まれるが、選挙翌日の同年2月19日、吉川の宏池会宮澤喜一派)入りが内定した[3][4]

1988年12月、竹下改造内閣科学技術政務次官に就任し、翌年の宇野内閣まで務めた。2000年7月、第2次森内閣労働大臣として初入閣。同年に派閥領袖の加藤紘一が起こした加藤の乱には与せず、加藤派から独立した堀内派に参加した。

2001年1月、7月の第19回参議院議員通常選挙の自民党公認候補に決定したが、新進党から自民に入党した現職の長谷川道郎第18回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補し落選した前職真島一男の公認・推薦を巡り自民党本部と新潟県連が対立。こうした中、同年3月、急病のため入院。4月、病気を理由に公認を辞退。政界引退となった。2001年、勲一等瑞宝章受章[5]

2018年4月6日、肺炎のため死去[1]。86歳没。叙従三位[6]

脚注

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  1. ^ a b 吉川芳男氏が死去 最後の労相、元自民党参院議員”. 新潟日報 (2018年4月7日). 2018年4月8日閲覧。
  2. ^ 『国会便覧 昭和62年8月新版』(第76版)日本政経新聞社、1987年9月1日、333-336頁。 
  3. ^ 『朝日新聞』1990年2月20日付朝刊、2面、「二階堂グループが解散状態に 総選挙で田中氏落選、参院2人宮沢派へ」。
  4. ^ 『国会便覧 平成2年2月新版』日本政経新聞社、1990年4月10日、342-345頁。 
  5. ^ 「2001年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2001年11月3日朝刊
  6. ^ 『官報』第7259号、平成30年5月10日
公職
先代
牧野隆守
日本の旗 労働大臣
第68代:2000年
次代
坂口力
議会
先代
永田良雄
日本の旗 参議院農林水産委員長
1992年 - 1993年
次代
石井一二