温水三郎
温水三郎 ぬくみ さぶろう | |
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生年月日 | 1905年10月3日 |
出生地 | 宮崎県西諸県郡小林村 |
没年月日 | 1976年10月22日(71歳没) |
死没地 | 宮崎県東諸県郡綾町 |
出身校 | 法政大学法科 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
親族 |
父:温水実孝(県会議員) 兄:温水一郎(県会議員)[1] |
選挙区 | 宮崎県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1961年12月10日 - 1976年10月22日 |
温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月3日[1][2] - 1976年(昭和51年)10月22日[2][3])は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(3期)。位階は正四位、勲等は勲二等。
略歴
[編集]宮崎県西諸県郡小林村[4](現小林市)で、宮崎県会議長を務めた温水実孝の息子として生まれた[1]。その後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校を経て1931年(昭和6年)法政大学法科卒業し[2][3][5]、農業に従事した[4]。
1942年(昭和17年)小林町会議員に選出[1][3][4]。1946年(昭和21年)小林町農業会会長に就任[4]。1948年(昭和23年)宮崎県農業会会長となり[4]。1954年(昭和29年)宮崎県農業協同組合中央会会長[4]。1963年(昭和38年)宮崎県の農協中央会、信用農協連、経済農協連、共済農協連の各会長就任[3]。同年、全国運輸農協連会長就任[4]。
1961年(昭和36年)二見甚郷の辞職に伴う、第5回参議院議員通常選挙宮崎県地方区補欠選挙に自由民主党から出馬し、初当選[6][7]。以後、第9回通常選挙まで再選され、参議院議員に連続3期在任した[3][8]。この間、1966年(昭和41年)8月、第1次佐藤第2次改造内閣農林政務次官、同年12月、第1次佐藤第3次改造内閣農林政務次官に就任。その他、自民党政務調査会副会長、同宮崎県支部連合会会長なども務めた[1][3]。
参議院議員在任中の1976年10月22日に宮崎県東諸県郡綾町で事故死[9]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される[10]。同年12月、補欠選挙が行われ、無所属の坂元親男が自由民主党の元林野庁長官松形祐堯らを破り当選した[6]。
国政選挙歴
[編集]- 1961年(昭和36年)12月10日 - 第5回参議院議員通常選挙宮崎県地方区補欠選挙(自由民主党)当選[7]
- 1965年(昭和40年)7月4日 - 第7回参議院議員通常選挙(宮崎県選挙区、自由民主党)当選[7]
- 1971年(昭和46年)6月27日 - 第9回参議院議員通常選挙(宮崎県選挙区、自由民主党)当選[11]
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『宮崎県政外史』652頁。
- ^ a b c 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』470頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』379頁。
- ^ a b c d e f g 参議院会議録情報 第078回国会 本会議 第10号
- ^ 『宮崎県大百科事典』[要ページ番号]
- ^ a b 戦後の補欠選挙
- ^ a b c 『国政選挙総覧:1947-2016』531頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』531-532頁。
- ^ 参議院会議録情報 第78回国会 参議院 議院運営委員会 第7号
- ^ 『官報』第14945号16-17頁 昭和51年10月30日号
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』532頁。
参考文献
[編集]- 宮崎県政外史編纂委員会編『宮崎県政外史』宮崎県政外史刊行会、1967年。
- 『宮崎県大百科事典』宮崎日日新聞社、1983年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会 | ||
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