コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

三木與吉郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

13代 三木 與吉郎(みき よきちろう、1902年明治35年)12月21日 - 1981年昭和56年)5月27日)は、日本の実業家政治家参議院議員(3期)、衆議院議員[1](1期)。三木産業阿波製紙徳島バス各社長[2]。初名・真治(しんじ)[3]

三木 與吉郎
みき よきちろう
生年月日 (1902-12-21) 1902年12月21日
出生地 日本の旗 徳島県板野郡松茂村
没年月日 (1981-05-27) 1981年5月27日(78歳没)
出身校 慶應義塾高等部
所属政党翼賛政治会→)
日本進歩党→)
無所属→)
自由民主党
称号 勲一等瑞宝章
子女 二男・三木俊治(元徳島市長
親族 父・12代三木与吉郎(元衆議院議員
祖父・11代三木与吉郎(元衆議院議員

選挙区 徳島県地方区
当選回数 3回
在任期間 1953年5月3日 - 1971年7月1日

選挙区 徳島県第2区
当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日
テンプレートを表示

経歴

[編集]

徳島県板野郡松茂村(現・松茂町)出身[4]12代与吉郎の長男として生まれる[1]1926年(大正15年)慶應義塾高等部を卒業し[4][5]三十四銀行に入行[3]1927年(昭和2年)三木商店専務に就任し業績の回復に尽力[3]1938年(昭和13年)家督を継いで13代三木與吉郎を襲名[3]1939年(昭和14年)三木商店を改組して、三木産業社長に就任[6]

その後、松茂村会議員に就く。1942年(昭和17年)の総選挙(いわゆる翼賛選挙)で翼賛政治体制協議会の推薦を受け代議士に当選する。全国農業会理事を兼職。戦後、公職追放となり[7]、追放解除後の1953年(昭和28年)に徳島県地方区から参議院議員に当選。逓信、運輸、内閣、外務の各委員長を歴任した他、自由民主党徳島県連会長や同党両院議員総会副会長などを務めた。1971年(昭和46年)に引退。

引退後は、三木産業代表取締役会長や、阿波製紙代表取締役会長、学校法人徳島文化服装学院理事を歴任[8]。1981年に死去。

人物

[編集]

趣味は打球[1]ゴルフ[2]。住所は徳島県板野郡松茂町中来喜中須[2]

受賞歴

[編集]

家族・親族

[編集]
三木家

著書

[編集]
  • 『阿波藍の栽培及製法』三木産業 1960
  • 『阿波藍譜』三木産業 1960-1974
  • 『三木文庫』三木産業 1961初版/1966訂正増補版
  • 『三木家俳句集(第1巻~第3巻)』三木産業 1966

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ミ14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月12日閲覧。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第15版 下』ミ3-4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 『47都道府県別 日本の地方財閥』209-210頁。
  4. ^ a b 『翼賛選挙大観』399頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月30日閲覧。
  5. ^ 『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』518頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月12日閲覧。
  6. ^ 『歴代国会議員名鑑』上、1186頁
  7. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、342頁。NDLJP:1276156 
  8. ^ 『歴代国会議員名鑑』中、1966頁
  9. ^ 『47都道府県別 日本の地方財閥』211頁。

参考文献

[編集]
  • 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』慶応義塾、1924-1942年。
  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 菊地浩之『47都道府県別 日本の地方財閥』平凡社〈平凡社新書〉、2014年。

関連項目

[編集]


議会
先代
赤間文三
日本の旗 参議院外務委員長
1967年 - 1969年
次代
山本利寿
先代
村山道雄
日本の旗 参議院内閣委員長
1963年 - 1964年
次代
下村定
先代
平島敏夫
日本の旗 参議院運輸委員長
1960年 - 1961年
次代
前田佳都男
先代
宮田重文
日本の旗 参議院逓信委員長
1958年 - 1959年
次代
手島栄