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三木与吉郎 (11代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

11代 三木 与吉郎(みき よきちろう、1836年10月19日(天保7年9月10日[1])- 1908年明治41年)6月21日)は、幕末・明治期の実業家政治家貴族院議員。俳人。名は順治(じゅんじ)、通称は与吉郎[1]

三木 与吉郎
みき よきちろう
生年月日 (1836-10-19) 1836年10月19日
出生地 日本の旗 徳島県板野郡松茂町
没年月日 (1908-06-21) 1908年6月21日(71歳没)
所属政党 無所属
子女 長男・12代三木与吉郎(元衆議院議員、貴族院議員)
親族 孫・三木與吉郎(元参議院議員
曾孫・三木俊治(元徳島市長

当選回数 2回
在任期間 1890年9月29日 - 1904年9月28日
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年譜

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[2]阿波国板野郡中喜来浦(現徳島県板野郡松茂町中喜来[1])出身。阿波国有数の藍商で豪商、9代与吉郎光治の3男として生まれる[1]。長兄正貢が早世し、次兄宇次郎の他出により[1]、成人して後、父より家督と「与吉郎」の名を譲られ藍商を営む。

1870年(明治3年)より1882年(明治15年)まで開拓使御用達として、北海道開拓や北海道における産業振興の一翼を担う。その後、徳島県会議員を歴任。1890年(明治23年)9月29日に貴族院多額納税者議員に就任[3][4]。また、1896年(明治29年)より阿波銀行初代頭取を兼職[5]。1904年(明治37年)9月28日、二期在任して貴族院多額納税者議員を勇退した[3]

俳号は「芳桂(ほうけい)」。児玉逸淵、志倉西馬、八木芹舎らに学び、「芳桂句集」がある[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『徳島県人名事典 別冊』298頁。
  2. ^ 以下につき、『歴代國会議員名鑑 上巻』480頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』222頁。
  4. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
  5. ^ 森岡浩『日本の名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年、480頁。
  6. ^ 市川一男『近代俳句のあけぼの 第二部 幕末明治の俳人とその作品』中央公論事業出版、1975年、278頁。

参考文献

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  • 「三木順治」『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』衆議院・参議院編、大蔵省印刷局、1990年、222頁。
  • 『歴代國会議員名鑑 上巻』議院制度研究会、1995年。
  • 『徳島県人名事典 別冊』徳島新聞社、1994年。